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みやび萬紅堂。
かつて小説に似たものが書かれていた所、その残骸。
【完全版】MUKURO・煉獄篇‐1 (終わりのはじまり)
 朝の通勤ラッシュに揉まれながら猪瀬 諒は吊り革を掴み、高速で移動する電車に揺られていた。目の前の窓から見える景色は流れるように変わっていく。
 連日の疲れが取れておらず、猪瀬は立ったままでも眠ってしまいたかった。だが、自分が手掛けている仕事にとって、今はとても重要な時期だった。当然のように帰りも遅くなり、しかし出社時間は変わらない。疲れだけが溜まっていくような日々である。
 快晴の、澄み渡った空で太陽が自由気ままにといった様子で地上を照りつけていた。外に比べればまだましだが、車内も相当に暑い。窓ガラスを通過する陽光。密集した人間の体温。無数の呼吸が、二酸化炭素の密度を増やしている。
 シャツには汗が滲み、滴(しずく)ツーと背に一筋流れていく。
 景色はまだ流れている。目的駅まではまだしばらくあった。
 不意に、猪瀬の感覚がわずかな震動を捉えた。躰を包み込むような違和感。それは電車の揺れとは違っていた。瞬間、大きな力が車両を揺する。今度はより明瞭(はっきり)、誰もが揺れに気付いた。――地震だ。
 大きな揺れに耐えきれず、思わず倒れそうになる人たち。しかしぎゅうぎゅうに詰められた車内ではそれも出来ない。場はかなりの押し合いになった。
 アナウンスが流れ、電車は一時停止した。
 激震が車両を襲う。――吊り革を掴む、猪瀬の両手に力が籠もった。
 その地震は数分続き、そののち突如として止んだ。
 猪瀬は瞑っていた目を開けて、車窓から周りの様子を窺った。地震の強さの割には、目に見えるような被害はない。彼は安堵の息を吐きながら、全身の力が抜けていくのを感じた。
車内では何人かが押し倒されて、ところによっては積み重なるようになっている。どこからか呻き声が聞こえた。
 ふと、遠くに見える大きなタワーの存在に猪瀬は気付き、とある疑問が浮かび上がる。あんなところにあのような巨大なタワーがあっただろうか? その高さは天に届くかのようで、頂上が見えない。
 急に夜が来たかのように、一転して外は闇に包まれた。闇というよりも、黒に。車窓から先にあるのは、ただの漆黒。まるで世界が黒に塗りつぶされたかのような感覚に猪瀬は陥らされた。
 何が起きたのかわからず、猪瀬は混乱した。車内でもいくつものどよめきが生まれているのがわかる。
「一体、何が……」
 思わず漏れた呟きの次の瞬間、猪瀬の目の前に恐ろしいものが現れた。
 黒い闇の中に、一つの大きな眼が浮かんでいた。それが窓ガラスに張り付いている。彼は思わずたじろいだ。
 ギョロリとしたその眼は車内を物色するかのようにせわしなく動いた。
 車内のどこかで悲鳴が響(こだま)した。

 ***

 昼頃になって、葛原 亮太郎はベッドを脱け出してキッチンに向かった。教えられていた通りに、母親が用意してくれていたお粥を温めて亮太郎はあまりない食欲でそれを口に運ぶ。亮太郎の通う小学校では風邪が流行っていたが、亮太郎もそれに罹(かか)ってしまったようで、今日は学校を休んでいた。
 スプーンでお粥を掬(すく)い、口の中に放る。亮太郎はあまりお粥が好きではなかったが、母親に少しでもいいから食べておきなさいね、と言われていて仕方なくいま食べている。
 カタカタカタ、と音がした。なんの音だろう?と亮太郎は思ったが、見てみると家具が小刻みに揺れている。地震だ。亮太郎はどうしていいかわからず、とりあえずスプーンを置いてテーブルの下にもぐってみた。
 それほど大きくはないが、揺れは続いている。
 急に心細くなった。小さなものでも、長く続く地震というのは不安感を煽り立てる。亮太郎はパートに出ている母親が自分のために帰ってこないだろうかと願った。地震は続いている。少しだけ、涙が出そうになった。
 長く続いた揺れも止まるときはピタっとやみ、テーブルの下から這い出てきて亮太郎は外の様子を窺ってみた。窓からは隣の家の庭が見える。隣のおじさんの姿がそこにあり、見知った顔を見たことで亮太郎の胸に安堵感が広がった。
 だが、どこか様子がおかしい。どうしたのだろう?
 亮太郎は乗り出すようにして、窓から庭にいるおじさんを見ていた。おじさんは苦しいのか、首を押さえるようにもがいている。先ほどまで赤くなっていた顔が、今度は蒼白に変わってきていた。
 何がなんだかわからないが、どうにも大変なことが起きているような気がして、無意識に亮太郎はグッと手を握り締めた。
 次の瞬間、おじさんの顔の皮膚の下で何かが蠢いているように見えて、亮太郎は怖くなった。するとおじさんの胸から何かが突き出てきた。黒い棒のようなもの。おじさんが胸を押さえると棒は消えていた。その代わり、今度は喉からそれが突き出した。そして顔からも。皮膚を突き破り、おじさんから血を溢れさせながら黒い棒が体内から飛び出している。なんだろう――このことは見てはいけない気がして、亮太郎は目を瞑った。
 数秒して、指の隙間からそっとおじさんの様子を窺う。おじさんの首から上は、もうおじさんではなくなっていた。おじさんの体内から皮膚を突き破って現れたらしい、巨大な蠅がヴヴヴヴヴヴという羽音を立てて、そこに乗っていた。
 恐怖は頂点に達し、亮太郎は大声で叫んだ。そしてカーテンを閉めて床にしゃがんだ。ヴヴヴヴヴヴヴヴという羽音だけが聴こえてきている。それが一瞬近付いたと思うと、音はどんどん遠ざかっていった。それでも亮太郎はその場に伏せたまま動くことはできなかった。

 ***

 どれほど時間が経ったかわからない。動けないまま、時間だけが進み続けているような気がする。延々と。終わりなく。気付けば喉が渇いていた。それを意識すると全身に一瞬で疲労感が拡がり、ベッドで横になりたいと思った。しかし、眠るわけにはいかないと亮太郎は頬をはたいて立ち上がり、水道の蛇口を捻ってコップに水を注いだ。荒々しく注がれた水は少し零れてシンクを叩く。亮太郎はコップの中の水をゴクゴクと飲み干した。
 恐怖で心臓は高鳴っている。何が起きたのか今もわからない。人が死んで、よくわからないものが現れた。それしか認識ができていない。
 まだ帰っていない母親に、亮太郎の不安感は高まっていた。時間の感覚がなく、母親が帰ってきているべき時間なのかどうかなのかもわからない。思考がうまく働いていなかった。
ドン、とどこの部屋からか物音がした。亮太郎の神経が敏感に反応する。ズル、ズルル、という床を擦れる音。無意識に脚が震えだす。涙が溢れてきそうだったが、亮太郎は必死に堪えた。腥(なまぐさ)さが鼻を突き、吐き気が込み上げそうになる。それなのに先ほど水を飲んだばかりにも関わらずもう喉がカラカラだった。
 ガラスの割れる音が響いた。亮太郎は思わず声を上げ、それから走った。玄関から飛び出す。――誰か助けて!
 外の世界は平常だった。何も異変は感じられない。車道を何台かの自動車が走っているのが見える。呆然としながら亮太郎は車道にふらふらと歩み寄っていく。騒音のようなクラクション。そこで亮太郎は意識を戻し、自分が車道の上に立っていることに気付いた。車がすぐそこまで迫ってきている。急ブレーキ。車は紙一重で亮太郎を避けて停まった。「おい、大丈夫か」と運転手らしき男が降りてきた。男は亮太郎に怪我がないことを悟ると大声で怒鳴った。「道路の真ん中を歩いて、なに考えてる!」
 恐怖で亮太郎は固まってしまった。謝らなきゃ、とは思うのに声が出てくれない。代わりに溢れ出るのは涙の方だった。
 男の手が亮太郎の頭に乗った。そして温かいものが亮太郎の頬を撫ぜる。それはぬるり、としていた。亮太郎は自分の頬を触り、手のひらを見た。そこには、べっとりと血がついている。
亮太郎は男を仰ぎ見た。男の首から上には何も無い。代わりに血が溢れている。男の頭はアスファルトの地面に転がっていた。
 残った男の体の背後で何かが動いた。それは数メートルもある巨大なカマキリだった。
 叫び声すら出なかった。ばたん、と男の体が地面に倒れる。恐怖。両の膝が笑っていた。ガクガクと震えるだけで言うことを聞いてくれない。逃げなきゃ!と思うのに体は動かなかった。
 カマキリの血に塗れた前脚(カマ)がゆっくりと動き出す。
 突然、亮太郎は走った。さっきまで固まっていた全身が嘘のように動く。全速力で走り続けた。後ろを見るのは怖いので振り向かない。走って走って走る。逃げなきゃ! それだけを思う。亮太郎は走った。無意識に 生きたい と思った。そう、願っていた。

 ***

 世界が暗転した。それは一瞬の出来事で、彼はもはやこれまでの日常が喪失(うしな)われたことを理解した。
 見たことのない怪物が街に蔓延り、人々を喰らう姿を目撃した。いずれ自分もあの中の“餌”のひとつになるのだろうか、と夢想する。
 彼は逃げ惑う人々を見下ろしていた。馬鹿なやつらだ、と思う。そして自分もそのうちのひとりであることを無意識下に理解しつつ、彼は魑魅魍魎が跋扈する街の闇に紛れていった。




<作者のことば>
MUKURO・煉獄篇が前回からだいぶ時間が経ってしまったので、【完全版】と題して(総集編とどっちがいいでしょうかね? 総集編ってダイジェストなイメージなんだけど)読み返しやすいように煉獄篇の1~3話をまとめてみました。

正確には4話もちょっとだけ入ってます。

あと少しだけ手直しして修正されてます(これは現在のところ通常版の方も修正しておいてあります)。
途中で分けられてるところは一応は1話分の区切りなんですが、場合によっては1話分で区切らずにくっつけてしまうこともあるかもしれません。

それは、これが1話分を読みやすく短くした連載方式の書き方なので、こうして一気にまとめて掲載するように書いてないからです。

時間がかかり過ぎてしまうので、ちょっとした手入れしかしていませんが、余裕があれば【完全版】の長さに見合った文章に書き直す場合もあるかもしれません。
ただ目的としては連載再開に向けて忘れてしまわれた部分を思い出して欲しいってことなので、そこはあまり重要視してません。

暇があったら読み返して【完全版】を通して改めて読んで頂ければ嬉しく思います。
プラス、新しく読み始めてくれる人もいれば嬉しい限りです。

希望があれば地獄篇と魔界篇(外伝)も読み返しやすいように、数話まとめた【完全版】を作りますので、その際はお気軽にコメントして頂きたいと思います。(たぶん言われなきゃやらないです。ただ希望があれば喜んでやります。おそらく若干の手直しも入れます。)

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