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みやび萬紅堂。
かつて小説に似たものが書かれていた所、その残骸。
DATE: 2010/08/30(月)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(25)
 突如、巨大な蛾の全身が変色を始めた。その体表が徐々に赤く染まっていく。まるで激昂でもしているかのように。
 鱗粉が宙に舞った。大きな翅が風を起こし、微粒子が骸に吹きつけられ、彼の躰に付着する。そのときジュッと音がした。彼の衣服に穴が開いている。皮膚も焼け爛(ただ)れたかのような様相だ。巨大蛾の鱗粉は変質を遂げ、物質を溶解させる性質に変化したようだった。
 骸は疾駆(はし)った。蛾とは反対側に。それを蛾は追行して羽ばたいた。溶解性の鱗粉が舞う。
 駆けた骸の向かう先にあるのは壁しかなかった。それでも彼は走る速度を緩めない。むしろ加速しているようである。前方の壁が迫った。彼は渾身の力を脚に込めて、跳んだ。
 彼は勢いよく、一直線に壁に向かって跳んだ。
 後方から蛾が迫ってきている。
 骸が壁にぶつかる――その直前に、彼は壁を思いっきり蹴った。
 彼はさらに高く昇(あが)った。そして蛾の上空にまで舞い上がった。
 そして彼は重力に従って下降を始める。
 巨大な蛾の背中に骸は着地した。一瞬、蛾が不意の加重によって空中でよろめく。素早く骸は蛾の翅のつけ根に手をつけた。ジュッと音を立てて彼の両手が焼かれる。それでも彼は手を離すことなく両腕に力を込めた。翅に裂け目が入る。骸はさらに力を入れて、翅を引っ張った。
 翅が中ほどまで裂けた。
 蛾はバランスを崩して落下する。必死に翅を羽ばたかせているが、もはや使い物にならなくなった片方の翅は、蛾を重力に従わせるしかなかった。そうしてコントロールを失った蛾は壁に激突して地に落ちた。
 骸は満身創痍の躰で立ち上がった。鱗粉で焼かれた皮膚が爛れている。大概の傷ならどうにか出来る彼もさすがにエネルギーの消耗が激しく、全身の修復が追いついていない。
 蛾が這って骸に近付こうと動いた。重い躰を引きずる姿は、蛞蝓(なめくじ)のようだ。
 その鈍重な姿に骸は油断していた。蛾の腹部の口からヒュゥと触手が素早く伸びて、彼の脚に巻きついた。彼は咄嗟にそれを外そうとしたが、しっかりと巻きついた触手は離れない。彼は引きずられ、蛾の方へと引っ張られていく。
 未来には、それを見ているしかなかった。
 麻痺した躰は言うことを聞いてくれず、呼吸も今にも止まりそうに苦しかった。もうここで終わりなのかもしれない。自分はきっと死ぬんだ。――もう何度も思ったことだが、これが本当に最後なのではないかと彼女は思った。彼女の視線の先では骸が引きずられ、巨大な化け物に殺されそうになっている。その姿が弘之の最期とダブった。もう誰も失いたくはない。だが、自分に出来ることなどなかった。一体、わたしに何が出来るというのだろう? 普通の女子高生なのだ。あんな化け物を倒すことなんて不可能にほかならない。
 ――そんな彼女の目の前に、あるものが転がっていることに気付いた。
 それは骸の骨刀だった。未来の脳裏にある思いがよぎる。もしこの骨刀を彼に渡すことが出来たら、彼は助かるのではないだろうか? この躰が動いてくれるかはわからないが、彼の存在が自分の生死を決めるのは確実だった。ならば出来る限りのことはしよう。足掻(あが)けるだけ足掻いてやる!
 どれだけ力を込めても弱々しくしか動いてくれない躰を、彼女は精一杯動かそうと努力した。ちょっとの動作で呼吸が乱れ、息が止まるかと思った。でも、彼を助けなければどうせ止まってしまうのだから――そう思って彼女は苦しさに負けず少しずつ床を這った。
 何十時間も走り続け、もう上がらなくなった脚を想像できるだろうか。もう振れなくなった腕を、涙が出るほどつらい呼吸を、想像できるだろうか。彼女はまさにそのような状態にあった。実際に涙が頬を伝った。もうこれ以上動けない。いやまだ頑張れる。その二つの想いがぶつかり、せめぎあい、彼女の中で闘っていた。彼女はその葛藤の中で、どうにか骨刀のところまでいこうと床を這って進んだ。
 思いっきり腕を伸ばしたその先に、何かが触れる。彼女の指先には、確かに硬い感触があった。――骨刀だ!
 未来は骨刀を掴み、渾身の力で立ち上がった。涙が溢れている。彼女は叫んだ。――少なくとも、彼女自身はそう思った。実際に声が出ていたかは別として。
 震える腕。それに全身全霊を込めて、未来は骨刀を投げた。骨刀は放物線を描き、骸の近くに転がった。――それは奇跡的にも彼の手の届く範囲に落ちた。
 骸は骨刀を掴み、蛾の腹部から伸びている触手を断ち切った。そして立ち上がるのと同時に、蛾の頭を斬り落とした。しかし、頭部を失った蛾の躰はまで動いている。
 ジュッという音がして、そのあと異臭が骸の鼻孔を突いた。蛾の翅が融けている。彼は上を見た。天井に半透明のヤモリのようなカタチの化け物がいた。その目はなく、その体表からドロリとした粘液のようなものが垂れ、それが頭部を失った蛾の躰にかかっていた。どうやら溶解液らしい。
 彼は未来に近付いて、彼女を抱き上げる。そして風のように走った。後方では蛾が元のカタチを失っている。半透明のヤモリは彼らを追う様子はなかった。
 骸は建物の外に出た。2人はついに魔物の巣窟から脱出することに成功したのである。

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