MUKURO・地獄篇‐32 (正体)
詩帆は震え、怯えていた。その視線の先にあるのは骸の頭部だ。
その頭部は左半分を欠いていた。おそらくイナゴの化け物に喰われたのであろう。首の辺りからは脊柱が10センチほど伸びて、途中で無くなっていた。
自分の見ているものが信じられぬように、詩帆は崩れ落ちた。
あの波のようなイナゴの大群に吞み込まれて生きていられるはずもなかったが、それでも目の前にあるものの存在を否定したくなる。骸はまさに超人的な強さを持っていて、それがどこかあのイナゴの群れの中でもどうにか生き延びることが出来るのではないかという幻想を抱かせた。しかし幻想は幻想だったらしい。
現実としてそこにあるのは骸だったもの。もはやただの物質でしかない。
「これから、どうしたらいいの――?」
骸ですら生き延びることの出来なかったこの世界を、魔界同然のこの地獄を、ただの人間が生き延びることなど無理なのではないか。彼女が持つ想像力を総動員してもそんな未来は見えそうになかった。滅びゆくことが人類の、抗えぬ運命なのではないかと本気でそう思う。
呆然としている詩帆にかける声もなく、舘岡は居心地の悪さを感じ、改めて骸の死体――といっても頭部だけだが――を見た。
何か違和を感じる。
今――、少し動かなかっただろうか?
もちろんそのようなはずはないのだが館岡の目はわずかな動きを捉えた。
口が動いている――!?
「あ、ああ……」
館岡はパクパクと口を動かして、骸の頭を指差す。何も言葉は出てこない。
その異変を詩帆は気付いたようだった。館岡の様子を見て、骸の頭に目を遣った。信じられぬが、骸の口がかすかに動いている。
骸の目が詩帆を見た。――この状態で生きているというのか!?
「か、…からだを……あつ…めて……きてくれ………」
ゆっくりと、か細い声だが、骸は確かに声を出して詩帆に話しかけている。
「お、れ、の……から、だ…を………あつめて………くれ……」
どうしたらいいのかわからず、詩帆は体を動かせなかった。声も出ない。
かかっていた金縛りを自力で解いて館岡が叫んだ。「化け物だぁ!!」
「詩帆ちゃん、そいつも化け物の仲間っすよ! 早く逃げないと!」
館岡が詩帆の腕を掴む。しかし彼女は動かない。
「どうしたんすか!?」
詩帆にはどうしても信じられなかった。骸がやつらの仲間だということを。
彼はこれまで何度も助けてくれたのだ。それはなぜだろう? 人間を襲う機会を窺っていたのだろうか? 違う。そのような機会は何度もあったはずだ。なのに彼は何もせず、自分の力になってくれた。
骸はやつら化け物と同じではない。そんな確信が詩帆の中に強くあった。
「放して」
館岡の腕を振り解き、詩帆は骸に駆け寄った。そして彼の言葉を必死に拾おうと思った。
「から、だ……を……あ、つ……めて……きて、くれ……ないか………」
――体を集めるとは?
詩帆は辺りを見回した。骸の失われた体の一部がどこかにあるのではないだろうか。何もない荒れた大地に視線を這わせる。
――あった。
それは骸の腕だった。どうやら左腕のようだ。
恐るおそるその腕を拾い上げ、詩帆は骸の頭部の近くに置いた。
「ほと、んど……喰われて、しまったが……まだ少し…やつらの……喰い残しが、あるはずだ」
徐々に声を取り戻しているかのように、骸の言葉は強く明瞭なものに変わっているのがわかった。――よく見ると骸の喉元がわずかではあるが再生している。
「館岡さん! 一緒に探してください!」
詩帆の気迫に圧され、館岡も一緒になって骸の肉片を探した。
それでも集まったのはほんの一部であり、そのほとんどが原形を保っていない。
ただ彼の武器である骨の大鎌だけは無傷であった。
それを添えると骸の肉片がわなわなと動き、まるで磁力でもあるかのように互いにくっ付きあっていった。
「少し待っていてくれ」
肉片が急速に細胞分裂していくかのように膨れ上がり、他の部位を取り込み出した。骸の顔も同じように膨れ、あるいは隆起してブクブクと肉が溢れる。骨鎌もメキメキと音を立てて変化を始め、しばらくして肉片に取り込まれた。
肉片は見る見る膨張し、次第に形を成していく。
それは再生というより、復元だった。
骸は以前と寸分変わらぬ姿で立ち上がった。あろうことか服まで着ている。
「さて、何から話せばいいか――」先程までの状態が嘘のような話し方だ。
詩帆は息を呑んで言葉の続きを待った。
「とりあえず――俺は人間じゃない」
その場の誰もがわかっていることを、さも新しげに彼は言った。
その頭部は左半分を欠いていた。おそらくイナゴの化け物に喰われたのであろう。首の辺りからは脊柱が10センチほど伸びて、途中で無くなっていた。
自分の見ているものが信じられぬように、詩帆は崩れ落ちた。
あの波のようなイナゴの大群に吞み込まれて生きていられるはずもなかったが、それでも目の前にあるものの存在を否定したくなる。骸はまさに超人的な強さを持っていて、それがどこかあのイナゴの群れの中でもどうにか生き延びることが出来るのではないかという幻想を抱かせた。しかし幻想は幻想だったらしい。
現実としてそこにあるのは骸だったもの。もはやただの物質でしかない。
「これから、どうしたらいいの――?」
骸ですら生き延びることの出来なかったこの世界を、魔界同然のこの地獄を、ただの人間が生き延びることなど無理なのではないか。彼女が持つ想像力を総動員してもそんな未来は見えそうになかった。滅びゆくことが人類の、抗えぬ運命なのではないかと本気でそう思う。
呆然としている詩帆にかける声もなく、舘岡は居心地の悪さを感じ、改めて骸の死体――といっても頭部だけだが――を見た。
何か違和を感じる。
今――、少し動かなかっただろうか?
もちろんそのようなはずはないのだが館岡の目はわずかな動きを捉えた。
口が動いている――!?
「あ、ああ……」
館岡はパクパクと口を動かして、骸の頭を指差す。何も言葉は出てこない。
その異変を詩帆は気付いたようだった。館岡の様子を見て、骸の頭に目を遣った。信じられぬが、骸の口がかすかに動いている。
骸の目が詩帆を見た。――この状態で生きているというのか!?
「か、…からだを……あつ…めて……きてくれ………」
ゆっくりと、か細い声だが、骸は確かに声を出して詩帆に話しかけている。
「お、れ、の……から、だ…を………あつめて………くれ……」
どうしたらいいのかわからず、詩帆は体を動かせなかった。声も出ない。
かかっていた金縛りを自力で解いて館岡が叫んだ。「化け物だぁ!!」
「詩帆ちゃん、そいつも化け物の仲間っすよ! 早く逃げないと!」
館岡が詩帆の腕を掴む。しかし彼女は動かない。
「どうしたんすか!?」
詩帆にはどうしても信じられなかった。骸がやつらの仲間だということを。
彼はこれまで何度も助けてくれたのだ。それはなぜだろう? 人間を襲う機会を窺っていたのだろうか? 違う。そのような機会は何度もあったはずだ。なのに彼は何もせず、自分の力になってくれた。
骸はやつら化け物と同じではない。そんな確信が詩帆の中に強くあった。
「放して」
館岡の腕を振り解き、詩帆は骸に駆け寄った。そして彼の言葉を必死に拾おうと思った。
「から、だ……を……あ、つ……めて……きて、くれ……ないか………」
――体を集めるとは?
詩帆は辺りを見回した。骸の失われた体の一部がどこかにあるのではないだろうか。何もない荒れた大地に視線を這わせる。
――あった。
それは骸の腕だった。どうやら左腕のようだ。
恐るおそるその腕を拾い上げ、詩帆は骸の頭部の近くに置いた。
「ほと、んど……喰われて、しまったが……まだ少し…やつらの……喰い残しが、あるはずだ」
徐々に声を取り戻しているかのように、骸の言葉は強く明瞭なものに変わっているのがわかった。――よく見ると骸の喉元がわずかではあるが再生している。
「館岡さん! 一緒に探してください!」
詩帆の気迫に圧され、館岡も一緒になって骸の肉片を探した。
それでも集まったのはほんの一部であり、そのほとんどが原形を保っていない。
ただ彼の武器である骨の大鎌だけは無傷であった。
それを添えると骸の肉片がわなわなと動き、まるで磁力でもあるかのように互いにくっ付きあっていった。
「少し待っていてくれ」
肉片が急速に細胞分裂していくかのように膨れ上がり、他の部位を取り込み出した。骸の顔も同じように膨れ、あるいは隆起してブクブクと肉が溢れる。骨鎌もメキメキと音を立てて変化を始め、しばらくして肉片に取り込まれた。
肉片は見る見る膨張し、次第に形を成していく。
それは再生というより、復元だった。
骸は以前と寸分変わらぬ姿で立ち上がった。あろうことか服まで着ている。
「さて、何から話せばいいか――」先程までの状態が嘘のような話し方だ。
詩帆は息を呑んで言葉の続きを待った。
「とりあえず――俺は人間じゃない」
その場の誰もがわかっていることを、さも新しげに彼は言った。
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