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みやび萬紅堂。
かつて小説に似たものが書かれていた所、その残骸。
DATE: 2009/12/09(水)   CATEGORY: 「怪奇蒐話」
「ママ(上)」
 玄関のドアが開き、家の中に誰かが入ってくる気配がして目が覚めた。
 タッタッタッ、という幼稚な足音が近付き、この部屋のドアが開いた。「ただいまー」
 元気よく帰ってきた佐知子を見て、わたしは今日の夕飯をまだ決めていないことに気が付いた。冷蔵庫の中身を思い出そうとしたが、それは想像の範疇を出なかった。昨日見たときは何があったっけ?
「おかえりなさい」
 わたしはさっちゃんに手を洗うように促すと、さっちゃんは素直に従った。水道の蛇口が勢いよく捻られ、決壊したダムのように水が放たれた。それにじゃぶじゃぶ、と手を洗う音が続く。
 気だるい体をどうにか立ち上がらせ、冷蔵庫に向かった。が、目の前に来て開けるのに必要な気力が一気に霧散した。近頃のわたしは本当に何もかもが面倒だと感じている。その理由を探したとき、ちらりと夫のことを考えたが、それはすぐに隅に追いやられた。キッチンに置いてあるレジ袋。その中に入ったカップ麺のことを思い出したからだ。
「さっちゃん。今日のご飯、ラーメンでもいいかな?」
 洗って濡れた手を、自分の洋服で拭うさっちゃんが「ラーメン屋さんにいくの?」と期待に満ちた声で言った。あーあ、せっかく手を洗ったのに。洋服で拭いたりしたら駄目でしょう。
「いいえ。お湯を入れて3分待つ方。さっちゃんも好きでしょ?」
 そういえば、昨日も同じだった気がするのだが、どうだったろう?
「さっちゃん、ママのごはんがたべたい」
「お母さん、今日はとっても疲れているの。今日だけじゃない、最近はずっと。どうにも体がだるくて、風邪かしら?」
「ママのごはんがいい」
「わがまま言わないの。ラーメンも好きでしょう? それともさっちゃんはご飯抜きにする?」
「じゃあさっちゃんもラーメンにするー」
「いい子ね。素直な子は好きよ」
 さっちゃんはリビングにあるテレビのスイッチを押し、適当にチャンネルを回すと、好みの番組を見つけたのかそれを観始めた。


 7時半。わたしはお湯を注いで3分待ったあと、さっちゃんと一緒にテレビを観ながらカップ麺を食べていた。
 少し前のわたしなら行儀が悪いと厳しく叱っていただろうが、今のわたしにはそんなエネルギーなどない。むしろ一緒にテレビを観ながら食べた方が、わたしにとっても楽だった。くだらない娯楽番組。まるでわたしの人生のよう。
「ねえ、パパはいつになったら帰ってくるの?」
 さっちゃんの言葉に、わたしは胸を痛めた。
「パパはね、今ちょっと遠くに行ってるから、当分は会えないの。帰ってこないのよ」
 それは半ば事実だが、真実とは若干ズレている。しかしどうしたらこの幼い子供が、父親がもう帰ってこないという現実を受け入れることができるだろうか。
 そう、夫はもうここへは帰ってこない。
 最後に夫に会ったのは、もう1ヵ月も前のことだ。それを最後に夫はわたしの前からも、さっちゃんの前からも消えた。わたしを裏切って、遠いところへ行ってしまったのだ。
 それからだろうか、わたしがこんなにも堕落した人間になってしまったのは。
「さっちゃん。パパに会いたい?」
「うん!」
 悲痛な想いが胸を締め付ける。もう帰ってこないとは知らないこの子が、どうにも可哀相でならなかった。そしてわたしの心には夫を恨む気持ちが膨れ上がった。
 毎晩夫の携帯に電話をかけるが、決まって出るのは見知らぬ女の声だった。その女は人の話を聞かず、いつも同じことを繰り返しわたしに言う。それを聞くたびわたしはどうにも怒りが込み上げてきて、自分の携帯を床に叩きつけたことがある。
「そうだよね、パパに会いたいよね」
 本当のところ、さっちゃんを夫に会わせる方法がないわけではない。わたしは、実のところ夫の居場所を知らないでもないのだ。でも、さっちゃんを夫に会わせるということは、さっちゃんがわたしのもとからいなくなってしまうという惧れがあった。
 もうわたしにはさっちゃんしかいないのに……。


「さっちゃんね、学校でくさいっていわれたの」
 ――くさい? わたしはさっちゃんを抱き寄せて、体の臭いを嗅いでみた。どこもくさいところはない。頭も、体もいたって普通だ。
 もしかしてイジメ? 恐ろしいイメージがわたしの中で膨れ上がった。さっちゃんは学校でイジメに遭っているのだろうか? もし、そうなら、わたしはどうすればいい? 担任に掛け合えばいいのだろうか。いや、それでは根本的な解決にならないような気がする。
「じゃあ、お風呂入ろっか?」
「うん!」
 イジメに対する解決策は思いつかなかったが、とりあえずさっちゃんを安心させるため、彼女をお風呂に入れようと思った。「きっとお風呂できれいに洗ったら、くさくなんかなくなるよ」
 わたしはさっちゃんの衣服を脱がして風呂場へとやった。カップ麺の容器をキッチンへと持っていき、わたしは遅れて風呂場に向かった。
「あのね、ママ、さっちゃん今日さかあがりできるようになったんだよ。すごいでしょ?」
 さっちゃんの声が聞こえた。
「パパにも教えてあげたいんだけど、パパは帰ってこないんだって。いつになったらあえるのかなぁ?」
 誰と話しているのだろう?
「さっちゃん?」
「はーい」
「誰と話していたの?」
「ママと」
「本当に? 誰か他の人と話しているようだったけど」
「ママと話してたんだよ」
「そっか。ごめんね、ちょっと聞いてなかったからもっかい教えてくれる?」
「ママに話してたんだよ?」
「それはわかったから、もっかい話してよ」
「どうして?」
「お母さん、聞いてなかったから」
「ママじゃないもん」
「さっちゃん…?」
「お母さんはママじゃないもん」
「さっちゃん、ちょっとどうしたの? さっきから何を言っているの?」
 わたしは大いに焦った。少し前から、さっちゃんの様子がおかしいことはわかっていた。たまに意味のわからないことを言い出して、わたしを混乱させる。一体どうしたというのだろう? ママとお母さんは違うの? ねえ、さっちゃん。さっちゃんのママは誰? わたしでしょ?
「さっちゃんのお母さんはわたしよ?」
「違うもん」
「さっちゃん、どうしたの? お母さんのこと忘れちゃったの?」
 実は、さっちゃんがこうなる理由に心当たりがあった。先月、この子は強く頭をぶつけてしまったのだ。きっとそのせいだろう。あのときは頭皮がパックリ割れて、血がどぼどぼと溢れ出た。わたしは驚いて傷口を手で押さえようとすると、ズルッと何かが滑った。わずかな頭皮と一緒に髪の毛がべったりとわたしの手に張り付いていた。
 それを見て恐ろしくなってしまったわたしは思わず叫び声を上げて、飛び退いた。そして少しの間、放心してしまい、このままではまずいと思って慌てて裁縫セットを持ってきて、糸を通した針で傷口を縫い合わせ、応急処置をした。しばらくして出血は止まり、大事には至らなかったのだが、あのときの衝撃で脳がダメージを受けてしまっているのかもしれない。――医者に診せた方がいいのだろうか?
「さっちゃんのママはわたしなのよ? いい? さっちゃんのママはわ・た・し。他の誰でもないわ。わかった? ちゃんと思い出してくれた?」
「う…ん…」
 わたしが力強く言った成果か、さっちゃんはわたしのことを思い出してくれたようだった。
 わたしは裸のさっちゃんに頭からシャワーを浴びせ、その次にシャンプーで頭を洗ってあげた。そのときわたしが縫った傷痕が指先に触れて、少しつらい気持ちになった。
「ねえ、さっちゃん。あなたはお母さんのところからいなくならないでね」
「うん」
「ありがとう。いい子ね」
 わたしは再びシャワーを浴びせ、シャンプーの泡を洗い流した。
 本当は湯船にも浸からせてあげたいのだが、浴槽をしばらく掃除していない。そのうちどうにかしなければと思いながらも、放っておいてしまっている。



<作者のことば>
タイトル悩みましたが、考えるのが面倒なのでシンプルにしてみました。
本当は1話に収めたい(出来れば一気に読んでもらいたい)と思ったのですが、どう考えても1話は無理だなーと断念。

2、3時間くらいでババーっと書いてしまったのでどこか粗いかも。

もう少しじっくり書いてもよかったかもしれない。まぁ、長くなるのはごめんだが。
1話分ちょい長めですが、どうにか読んでもらえると嬉しいです。


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COMMENT

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● いま気づいたんですが
ライム | URL | 2009/12/10(木) 08:53 [EDIT]
このお話って「怪奇蒐話」なんですか!?
展開を楽しみにしています
こういう何気ない描写も上手いですね!

匡介 | URL | 2009/12/10(木) 11:50 [EDIT]
>ライムさん
あ、気付かれましたか(笑)
ちょっと悩んだんですが、「怪奇蒐話」に入れてみました!

なぜ「怪奇蒐話」なのか、後編を楽しみにしていてください。

え? 何気ない描写も上手いって? 当たり前じゃないですか
そうでもないですよ、日々精進です! てゆーか、ライトな文章を書くことが続いたので、やや自信がないです(笑) しかも一人称も久し振りな気もするので、少し違和を感じながら書いてました。これで本当にいいのか?とちょっと思ったりも。
自分的には及第点、まあまあってところでしょうか。もっと自信を持って載せたいですね~。

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