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みやび萬紅堂。
かつて小説に似たものが書かれていた所、その残骸。
DATE: 2009/05/07(木)   CATEGORY: 短篇小説
天使、あるいは地獄。そして自殺未遂の記録
 空を見上げるとそこには天使がいた。
 白い翼で、舞い降りるようにゆっくりと下降するようにしかしホバリングするかのように空中に停滞していた。
 記号を用いるならそれは「♂」だった。しかし女性のように細身のある躰だった。
 天使は切なく、そして美しく笑うと私の存在を認めたようだった。

 ***

 まだ夏と呼ぶには早過ぎるが、それでも気温は充分に夏だった。近年の温暖化の影響か。
 やはり暑いと腐るのも早いのだろうな、と僕は思った。
 窓の外を見遣ると、空は晴れていた。雲ひとつない、ではなくて、バランスよく雲が浮かんでいた。景観としてはちょうどいい。
 僕たちは付き合って5年が経っていた。5年あったら小学生だって高校生になっている。10年の半分。
 付き合い始めのきっかけは何だったろうか。よく覚えてはいない。どちらかが「付き合ってください」と言ったようなものではなく、それは自然とそうなった、わかりやすく言うと成り行き的なものだった。
 それでも、おそらくは彼女の方から近付いてきたのだと思う。
 僕は社交的な性格ではなく、それでも人並みには友人がいて、その中には何人か女の子がいて、気付けばその中に彼女もいた。僕は広くはないけれど、人とは浅く付き合うタイプだという自覚がある。本音というものを話したことなどなかったし、だからか、本音というものを話されたという覚えもなかった。しかし彼女は違った。
 彼女は常に本音で話すタイプの人間で、そして交友も広かった。男女問わず友人が多く、その友人の多くに頼られていたし、慕われていた。どう考えても僕とは正反対だった。
 そんな彼女がどうして僕などに興味を持ったのかはわからない。自分とは正反対の、未知なる人間への好奇心かもしれない。彼女が、僕を正反対の人間だと認識していたかはわからないが。
 彼女は明るく、活発だった。月並みだが、簡潔に言えばまさにそうだった。
 僕は彼女に連れられ、様々なところへ行ったし、いろいろなことをした。そのほとんどが僕ひとりではおよそ体験できないことだらけだったろう。僕は外の世界を嫌っていたし、どこかへ出かけるよりも自室で音楽を聴いている方が好きだった。ベートーヴェンやチャイコフスキー、あるいはラヴェル。俗にクラシックと呼ばれるジャンルの音楽を好んで聴いていた。ヴィヴァルディ、ショパン、ホルスト、ビゼー。そしてモーツァルト。音楽を通して偉大なる音楽家、作曲家と交流するのが僕にささやかな幸せだった。
 しかし彼女に連れ歩かされるようになってからは、そういった音楽の巨匠たちと触れ合う機会が減っていった。それを彼女に告げたら、彼女はデジタルオーディオプレーヤーなるものに、僕の音楽を入れ、僕に渡した。それは持ち運びには便利で、移動中の電車の中などで聴くことはできたが、物足りなくも感じた。音楽はもっと落ち着いた場所で、ゆっくり吟味するように聴くという常識は彼女にはなかったのだと思う。それに僕のコレクションにはレコードも少なくはなかった。やはりレコードの音には劣ると感じたし、レコードに入っているものは、そのプレーヤーに入れることはできなかった。それでも彼女は満足そうに、機械の扱いが不得意な僕の代わりに、プレーヤーに音楽を足しているのをいつも見ていた。
 おそらく、僕が彼女を理解できなかったように。彼女も僕を理解できていなかったのだろう。
 室内ではヴィヴァルディの<四季>が流れていた。かの有名な「春」だ。おそらく知らないものはいないであろう名作中の名作。<四季>にはそれぞれにソネットが付いていて、「春」にはこうある。――『春がやってきた。小鳥たちは楽しそうに朝の歌をうたい、小川はやさしくささやきながら流れている。だが、急に空には暗雲が垂れ込め、雷鳴と稲妻が襲ってくる。そして嵐が過ぎ去ったあとには、また前にも増して楽しげなうたが始まる。』
 今の僕は「春」の嵐に見舞われているかのような感覚すらある。しかしこれが過ぎ去ったあとにあるのが楽しげなうたとは思わない。きっとその次に来るのは「夏」なのだろう。確かに今はわずかながらの平穏が心を占めている。しかしこれは長くは続かない。夏の手前、春のわずかな平穏。
 まだ夏と呼ぶには早過ぎるが、それでも気温は充分に夏だった。夏。夏夏夏。
 僕は流れている<四季>を「春」から「夏」に変えた。

 ――やがて彼女は腐るだろう。

 日本人の思い浮かべる夏は明るく、爽やかなイメージなのだろうか。街で流れる流行りの曲も、ポップで開放的な印象の曲ばかりだ。しかし<四季>の「夏」はそうではない。暗く、よどんだ空気が支配している。それが<四季>の「夏」。
 ヴィヴァルディが暮らしていたイタリアは、嵐の季節だ。決して楽しい季節ではなかったのだろう。彼の「夏」がそれを物語る。そして「夏」のソネットも『わるい予感があたったかのように恐ろしい稲妻、雷鳴がとどろき、霰さえも降り出す。せっかく実った作物も叩きつけられてしまう。』とある。「夏」は暗黒の季節、それはやがて僕に訪れるものと同じだった。
 僕は彼女を見た。彼女も僕の方を見つめていた。それは何かを訴えるかのようでもあったが、何を訴えたいのかは僕にはわからなかった。
 窓からは清涼な風が吹き付け、陰鬱な厚さが少しだけ和らいだ。
 僕は彼女をそのままにし、窓に手をかけ、下を見る。
 そこには見知らぬ少女が歩いていた。しかし構わない。もし当たったとして、だからどうというわけでもない。
 僕は足をかけ、そして飛び降りた。
 おそらく死ねるだろう高さ。きっと数秒後には僕は彼女と同じ肉塊になっている。
 目を開いておこうと思った。最期に見えるものを知りたかった。
 しかし、そこに最期はなかった。そんなものは訪れず、地面はずっと下だった。
 浮いている。背中を見ると、そこには翼が生えていた。白い、天使のような。
 思わず笑ってしまった。
 死ぬことすら許されないのか。これから訪れる「夏」を待てというのか。そして「秋」を過ごし、結局訪れるのは「夏」同様に厳しい「冬」だというのに。
 
 諦めて僕は、少女に笑いかけた。

 ***

 天使に笑いかけられた私は、どうしたらいいかわからなかった。
 それ以前に、どうすることもできなかったと言っていいと思う。私はそれから目が離せず、ただただ立ち尽くすばかりだった。
 これは夢なのだろうか。
 私は彼の美しさに見蕩れるしかなかった。



<作者のことば>
何を思って書いたのかよくわからない。
よって意味深な内容に思えるも、特に大層な意味を込めてはいない。

ただ、浮かんだままに書いただけ。

それでも読んで何かを思う人がいるかもしれない。それはそれでいい。
それこそヴィヴァルディの<四季>のように、多様な解釈があって構わないと思う。

ヴィヴァルディの<四季>は、それが同じ曲とは思えないほど多くの解釈と演奏があるのだから。

最期に言わせてもらうと、<四季>の「春」「夏」のソネットについては正確さがわからない。
もしかしたらものによって訳なども違うのかもしれないし、しかしそれでも大体はあっているような。

P.S.
どうも「晴れのち人のち死のち生のち雨。」でもそうなように落ちる話が好きなのかもしれない。
もしくは、最近は落ちる話の気分なのか。

それも自殺を試みて、成功しない話。

「晴れのち~」は実際蛇足と公言しているように、当初は、あるいはひとつのエンディングとしては、
自殺は成功している。成功というか、まあ死ぬ。それでも意識的分野で死にきれない。
「晴れのち~」「天使、~」どちらもファンタジイな要素が強い。ファンタジイというか、幻想というか。

どういう深層心理が働いているのだろう。

ある意味、結末は<再生>とも取れるし、それは希望かもしれない。
それとも仏教が身近に存在する日本人としては、そこにあるのが仏教の根底にある“諦観”かもしれない。
そこのとこはよくわからないが、きっと、何らかの深層心理が存在するんだろうなぁ。

あとタイトルがどちらも長いね。

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