平成妖異奇譚(8) 「食人鬼Ⅴ」
「もうすぐ」
その言葉を発したのは例の巫女である。
彼女はそう云って、田島の袖元(そでもと)をギュッと掴んだ。
僕らは思わず周りを見回した。僕には何の影も確認することが出来なかった。
「ふむ。確かに血のにおいが漂ってくるね」
愛染がそう云い、
「それと死臭もします」と劉心が付け加えた。
僕は鼻腔を広げ、周囲の臭気に気を配ったが、何も感じない。
「そうか。ぶふぅ。近くにいるのか」
巫女の少女の頭を撫でつつ田島が云った。
「悪いが、僕は何も感じない」
そう告げたのだが、誰も取り合ってはくれなかった。
どうして僕はここにいるのか。本当は必要なかったんじゃないかと考えてしまう。というか事実、必要ないと思われる。
「もうすぐ」
未来を読む巫女が繰り返しそう云った。
どうにも落ち着かなかった。自分だけが取り残され、何も出来ずにいる。
僕は目を瞑り、大きく深呼吸をした。そしてゆっくりと目蓋を開ける。
すると目の前には、魍魎がいた。
赤い顔に長い耳、そして恐ろしいほどに美しい艶やかな長髪の鬼児。
一瞬、魅入ってしまった。
しかし次第に冷静さと、そして恐怖が僕に舞い戻る。
気付けば僕は叫んでいた。それは夜の世界に木霊(こだま)した。
「やつだ!!」
田島がそう叫んだのはそのあとのことだった。
それを聞いた愛染が劉心に合図を送り、それを受け取った不気味な袈裟坊主は魍魎目がけて走っていった。
僕はその場から動けないでいた。
僕らに気付いた魍魎は驚いたように逃げていく。それを劉心が追う。目隠しをしているというのに、彼はまるで目が見えているように走った。
田島も「ぶふぅ、ぶふぅ」と息荒げに追っていくのが見えた。
気付けば巫女の少女はすがるように僕を見つめている。どうしたらいいのかわからず、僕は彼女をそっと抱き寄せた。
「劉心、そこだ!」
愛染が大声で云った。
それを合図に劉心は魍魎相手に飛びかかる。その勢いで彼は魍魎と一緒にアスファルトの地面を転がった。
「ぶふぅ、ぶふぅ。捕まえたの、かい?」
息を切らして田島が云った。
「どうやらそのようで」
愛染は嬉々とした声色だった。
そして芽生えるその感情をどうにか抑えようとしているように見えた。
「ぶふっ、ぶふぅ。劉心くぅん、でかしたぞー」
魍魎を押さえつける劉心を田島が誉めた。
そうして人を喰らう悪鬼、魍魎は捕らえられたのである。
***
ファミレスの片隅に、僕と愛染はいた。
今回の起きた事の顛末について、話し合っていたのである。
「どうにか無事に事件を収められたんだからいいじゃアないか」
今回のことで完全に機嫌を損ねた僕に対して、もう何度目かとなる愛染のせりふが宙を舞った。
「なに、巷を騒がせた連続殺人鬼はいなくなり、君も深夜の百鬼夜行を視なくなったんだからそれで良しとしようじゃないか」
世間を騒がせたいくつかの事件を引き起こした殺人鬼は、あの夜に田島の云う“研究機関”に引き渡された。
僕が捕まった彼を最後に視たとき、それは鬼や魍魎の類いではなく、ただの人間だった。「ただの」と云うと表現がおかしいかもしれないが、それは紛れもなく妖怪ではなく、人間であったのだ。
そして彼は表沙汰になっていない殺人も行なっているというのが愛染の意見で、その後の調査で実際にさらに複数の死体が上がった。そしてその死体のどれもが喰い散らかされていたのだ。
「しかし、あれを世間に公表しなくてもいいのか?」
実をいうとこの事件の結末というのは、世間一般には知らされていない。
体面の気にした例の“研究機関”が事の全てを隠蔽したのだ。もちろん警察にすら知られてはいない。
「別にいいじゃアないか。どうせ犯人はいなくなったんだ。これ以上、彼による殺人は行なわれることはないのだから」
「そういう問題じゃないだろう」
「それとも何か? 君は彼を第二の佐川一政として日本の犯罪史に彼の名を残したいのかい?」
そう云って彼は邪悪な笑みを浮かべた。どうにも愉(たの)しそうに見える。
彼の云う佐川一政とはきっとパリ人肉事件の犯人として有名な日本屈指のカニバリズム犯罪者のことだろう。
佐川は留学先のパリで、オランダ人女性を殺害し、そして食べた。
僕が知るところによると、殺害後の彼は電動ノコギリと肉切り包丁で死体を解体。その様子は自身の手によってカメラに撮影され、そしてそのあと夕食としてその一部を食べたのである。全くもって脅威的な事件だ。
逮捕後の彼は地元の精神病院に強制入院させられるが、わずか1年2箇月後に国外追放同然のカタチで退院させられる。日本に帰国も病院へと入院させられるが、こちらもわずか1年3箇月ほどで退院を果たし、事件からたった4年ほどで自由の身となり社会復帰を果たしたのである。
「まァ、この国にもたまにはカニバリズムのような猟奇的な事件もあってはいいと思うけどね。この国にとってもいい経験になるだろうさ」
そのように彼はブラックユーモアであろうジョークを飛ばした。快活に。
僕はそれについては特に受け止めず、放っておくことにする。彼にいちいち構うというのは、多大なる労力の浪費と無駄であることを学んだからだ。
彼はテーブルに上げられたカップを手に取りコーヒーを啜る。
同じく僕も自分のカップを手に取り、カフェオレを口元へと運んだ。
その言葉を発したのは例の巫女である。
彼女はそう云って、田島の袖元(そでもと)をギュッと掴んだ。
僕らは思わず周りを見回した。僕には何の影も確認することが出来なかった。
「ふむ。確かに血のにおいが漂ってくるね」
愛染がそう云い、
「それと死臭もします」と劉心が付け加えた。
僕は鼻腔を広げ、周囲の臭気に気を配ったが、何も感じない。
「そうか。ぶふぅ。近くにいるのか」
巫女の少女の頭を撫でつつ田島が云った。
「悪いが、僕は何も感じない」
そう告げたのだが、誰も取り合ってはくれなかった。
どうして僕はここにいるのか。本当は必要なかったんじゃないかと考えてしまう。というか事実、必要ないと思われる。
「もうすぐ」
未来を読む巫女が繰り返しそう云った。
どうにも落ち着かなかった。自分だけが取り残され、何も出来ずにいる。
僕は目を瞑り、大きく深呼吸をした。そしてゆっくりと目蓋を開ける。
すると目の前には、魍魎がいた。
赤い顔に長い耳、そして恐ろしいほどに美しい艶やかな長髪の鬼児。
一瞬、魅入ってしまった。
しかし次第に冷静さと、そして恐怖が僕に舞い戻る。
気付けば僕は叫んでいた。それは夜の世界に木霊(こだま)した。
「やつだ!!」
田島がそう叫んだのはそのあとのことだった。
それを聞いた愛染が劉心に合図を送り、それを受け取った不気味な袈裟坊主は魍魎目がけて走っていった。
僕はその場から動けないでいた。
僕らに気付いた魍魎は驚いたように逃げていく。それを劉心が追う。目隠しをしているというのに、彼はまるで目が見えているように走った。
田島も「ぶふぅ、ぶふぅ」と息荒げに追っていくのが見えた。
気付けば巫女の少女はすがるように僕を見つめている。どうしたらいいのかわからず、僕は彼女をそっと抱き寄せた。
「劉心、そこだ!」
愛染が大声で云った。
それを合図に劉心は魍魎相手に飛びかかる。その勢いで彼は魍魎と一緒にアスファルトの地面を転がった。
「ぶふぅ、ぶふぅ。捕まえたの、かい?」
息を切らして田島が云った。
「どうやらそのようで」
愛染は嬉々とした声色だった。
そして芽生えるその感情をどうにか抑えようとしているように見えた。
「ぶふっ、ぶふぅ。劉心くぅん、でかしたぞー」
魍魎を押さえつける劉心を田島が誉めた。
そうして人を喰らう悪鬼、魍魎は捕らえられたのである。
***
ファミレスの片隅に、僕と愛染はいた。
今回の起きた事の顛末について、話し合っていたのである。
「どうにか無事に事件を収められたんだからいいじゃアないか」
今回のことで完全に機嫌を損ねた僕に対して、もう何度目かとなる愛染のせりふが宙を舞った。
「なに、巷を騒がせた連続殺人鬼はいなくなり、君も深夜の百鬼夜行を視なくなったんだからそれで良しとしようじゃないか」
世間を騒がせたいくつかの事件を引き起こした殺人鬼は、あの夜に田島の云う“研究機関”に引き渡された。
僕が捕まった彼を最後に視たとき、それは鬼や魍魎の類いではなく、ただの人間だった。「ただの」と云うと表現がおかしいかもしれないが、それは紛れもなく妖怪ではなく、人間であったのだ。
そして彼は表沙汰になっていない殺人も行なっているというのが愛染の意見で、その後の調査で実際にさらに複数の死体が上がった。そしてその死体のどれもが喰い散らかされていたのだ。
「しかし、あれを世間に公表しなくてもいいのか?」
実をいうとこの事件の結末というのは、世間一般には知らされていない。
体面の気にした例の“研究機関”が事の全てを隠蔽したのだ。もちろん警察にすら知られてはいない。
「別にいいじゃアないか。どうせ犯人はいなくなったんだ。これ以上、彼による殺人は行なわれることはないのだから」
「そういう問題じゃないだろう」
「それとも何か? 君は彼を第二の佐川一政として日本の犯罪史に彼の名を残したいのかい?」
そう云って彼は邪悪な笑みを浮かべた。どうにも愉(たの)しそうに見える。
彼の云う佐川一政とはきっとパリ人肉事件の犯人として有名な日本屈指のカニバリズム犯罪者のことだろう。
佐川は留学先のパリで、オランダ人女性を殺害し、そして食べた。
僕が知るところによると、殺害後の彼は電動ノコギリと肉切り包丁で死体を解体。その様子は自身の手によってカメラに撮影され、そしてそのあと夕食としてその一部を食べたのである。全くもって脅威的な事件だ。
逮捕後の彼は地元の精神病院に強制入院させられるが、わずか1年2箇月後に国外追放同然のカタチで退院させられる。日本に帰国も病院へと入院させられるが、こちらもわずか1年3箇月ほどで退院を果たし、事件からたった4年ほどで自由の身となり社会復帰を果たしたのである。
「まァ、この国にもたまにはカニバリズムのような猟奇的な事件もあってはいいと思うけどね。この国にとってもいい経験になるだろうさ」
そのように彼はブラックユーモアであろうジョークを飛ばした。快活に。
僕はそれについては特に受け止めず、放っておくことにする。彼にいちいち構うというのは、多大なる労力の浪費と無駄であることを学んだからだ。
彼はテーブルに上げられたカップを手に取りコーヒーを啜る。
同じく僕も自分のカップを手に取り、カフェオレを口元へと運んだ。
COMMENT
● お疲れ様でした~
鬼団子 | URL | 2008/10/02(木) 21:35 [EDIT]
鬼団子 | URL | 2008/10/02(木) 21:35 [EDIT]
完結しましたねw
最後の締め方と、殺人鬼の捕まる場面が微妙な気がしましたが、面白かったことには変わりなかったです。
それにしても、あの、ぶふぅ、の人(忘)が面白いやら、たまにむかつくやら・・・ww
続編を楽しみに待ってますね~
最後の締め方と、殺人鬼の捕まる場面が微妙な気がしましたが、面白かったことには変わりなかったです。
それにしても、あの、ぶふぅ、の人(忘)が面白いやら、たまにむかつくやら・・・ww
続編を楽しみに待ってますね~
>鬼団子さん
あぁ、それはきっと重要視してなかったからです(笑)
正直、殺人鬼の行方はあまり意識してませんでした。見つけたらササッと捕まえちゃうつもりで、まぁ つまりは犯人は話のキッカケなだけで、個人的にはメインではありませんでした。
要は実在のカニバリズム犯罪者と妖怪が描きたかったんですよね。…実は最後に佐川を出したのは、佐川一政を出そうと思ってたのに、ずっと忘れてたからです(笑) 他にもハンニバル・レクター博士とか出したかったんですけどね。
ちなみにその人は田島 章兵です(笑)
続きはあることを期待せずに待っててください。
あぁ、それはきっと重要視してなかったからです(笑)
正直、殺人鬼の行方はあまり意識してませんでした。見つけたらササッと捕まえちゃうつもりで、まぁ つまりは犯人は話のキッカケなだけで、個人的にはメインではありませんでした。
要は実在のカニバリズム犯罪者と妖怪が描きたかったんですよね。…実は最後に佐川を出したのは、佐川一政を出そうと思ってたのに、ずっと忘れてたからです(笑) 他にもハンニバル・レクター博士とか出したかったんですけどね。
ちなみにその人は田島 章兵です(笑)
続きはあることを期待せずに待っててください。
お疲れ様でした~…ってコメ遅くてすみませっ
じっくり噛締める様に かなり楽しみながら読んでました( ̄∇ ̄*)ゞ
所々聞きなれない単語もあったので苦労(笑)…カメさんがさらにゆっくりと読んでいたわけで(笑)
妖怪が視える、という強い個性がありながら
なぜか この物語では凡庸な感じになってしまう程の周りのキャラの強さっ!! 内容ももちろんですが このキャラ達の個々の魅力が好きでした♪
これもまた 続編が楽しみです!
あっ! すんごい今更のお願いなんですが…
リンク 貼らせていただいてもよろしいでしょうか
?

じっくり噛締める様に かなり楽しみながら読んでました( ̄∇ ̄*)ゞ
所々聞きなれない単語もあったので苦労(笑)…カメさんがさらにゆっくりと読んでいたわけで(笑)
妖怪が視える、という強い個性がありながら
なぜか この物語では凡庸な感じになってしまう程の周りのキャラの強さっ!! 内容ももちろんですが このキャラ達の個々の魅力が好きでした♪
これもまた 続編が楽しみです!
あっ! すんごい今更のお願いなんですが…
リンク 貼らせていただいてもよろしいでしょうか

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