みやび萬紅堂。
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DATE: 2016/06/29(水)   CATEGORY: MUKURO・黙示録篇
MUKURO・黙示録篇-19 (魔の狂宴Ⅲ)
 真夜中の絶叫に、飯沼は目を覚ました。となりのベッドで舘岡は変わりなく眠っていた。空耳か? あるいは夢だったか――そんな考えが浮かぶと同時に、次なる悲鳴が響き渡り、飯沼は廊下に飛び出た。だが暗がりが広がっているだけで、何が起こっているのかはわからない。
「おい」
 と舘岡に声をかけた。数秒後に、舘岡が目覚めた気配がした。「このホテルで、何かが起きているぞ」
 廊下に充満する闇の向こう側から、何かが動く気配があった。ドドド、と地鳴りのような音が聞こえ、飯沼は暗闇に目を凝らした。チチッ――
 それは小さく黒い塊であった。床を素早く這っている。それもひとつではない。2、3と動く小さな影を認めたと思ったら、さらに10、20という影が暗がりから出現した。(鼠だ)とわかった頃には100近い数が廊下を駆け抜けていた。
「やばい」飯沼は鼠が侵入してこないように部屋のドアを閉めた。「物凄い数の鼠がいる。本物の鼠かどうか――。あれも化け物の一種かもしれない」
 両手が小刻みに震えていた。数々の化け物と遭遇しても生き延びてきた飯沼が、ただの鼠の群れに恐怖している。むしろ多くの危険を潜り抜けてきたからだろうか、本能が異常事態を悟っていた。得体のしれない恐怖が静かに両脚に絡みつき、もぞもぞ這いあがってくるのを感じた。何かが起こっている。これまでとは違う、何かが。しかし何が起こっているのかがわからない。嫌な予感ばかりが全身を駆け巡る。
 突然、背後に気配を感じて振り返った。赤い甲冑――。鎧武者が立っている。どうして。驚きのあまり飯沼は本気で心臓が止まるかと思った。そして、(殺される――)とすべてを諦めていた。この距離では、もうどうすることもできない。鎧武者は持っている刀で自分を斬り殺すだろう、と飯沼は直感した。面頬の隙間からは闇しか見えない。目があるべきところがぽっかりと穿たれているかのようだった。
「……おい、どうした。大丈夫か」
 呼びかけられて、飯沼はベッドの横に立つ舘岡を見た。心配そうな表情を浮かべている。
「あ、れ……?」
 気付けば、すぐ目の前にいたはずの鎧武者の姿は消えていた。飯沼は自分の目を疑い、何度も部屋のなかを見回した。けれども舘岡以外に誰もいない。何の姿もなかった。あれは何の幻だったのか。だが幻にしては圧倒的な存在感だった。
「本当に大丈夫か?」
 飯沼は軽く眩暈がして、眉間を揉んだ。「大丈夫だ」
「それはともかく、何か大変なことが起きている気がする。単なる勘だが、妙に胸騒ぎがする」


 ***


 美琴がベッドにいないことに気付いて、酒井真美は自室として使っている部屋を出た。ここ<キャッスル>には、まだ美琴には教えていない暗部がある。今はひとりで出歩いてほしくはなかった。何事もなければいいけれど……。
 ライトを片手に<キャッスル>の廊下を歩いた。「あの部屋」の方には行っていないことを祈った。男が女をヒト以下の性奴隷としてしか扱わない「あの部屋」。真美は無意識に頬をさすっていた。青紫の痣が痛々しく残る頬。「あの部屋」のことを考えると、全身が怖気に震える。
 チチッ――
 何かが足下を駆け抜けていった。なんだろう? 真美がライトの明かりで探(さぐ)ると、鼠だとわかった。割合に大きな鼠だ。小さな赤い瞳を輝かせ、真美の様子を窺っているように見えた。気味が悪く、真美は鼠を追い払おうとした。足で鼠を蹴るような動作をする。けれど逆に警戒をしてか、身動きひとつ見せなかった。
 チチッ――
 もう一匹鼠が現れ、真美はすこし気圧された。仲間を連れてくるとは……。
 目の前にいる二匹の鼠の後方から、何かが迫ってくるのを感じた。闇だ――と思った。凝縮した闇が床を這って進んでいる。それが鼠の大群だとわかったときには、真美は悲鳴をあげて走り出していた。殺されると思った。生きたまま喰われて、悲惨な最期を迎える自分が脳裡をよぎった。そんな最期は絶対にいやだった。
 真美は目についた客室のドアを開けて、室内に滑り込んだ。ドアをしっかりと閉める。施錠した上で、ドアに全体重を乗せて押さえた。ドアの向こう側から齧っているのか引っ掻いているのか、カリカリという音が聞こえた。冷たい汗が背中を流れた。
 しばらくして、廊下から鼠の気配はなくなった。しかし用心に越したことはない。真美はドアを開けることはせず、背中を預けて座り込んだ。
 部屋のベッドに誰かが寝ているのが見え、ここがタヅカの眠る部屋だということに気付いた。こういった状況で、包帯だらけのタヅカと二人っきりというのはなんとも気味が悪い感じがする。まあ、鼠よりはマシかもしれないけど。
 そのとき、意識不明で眠り続けているはずのタヅカの上半身が起き上がるのを見た。「ひっ」と小さく悲鳴をあげてしまった。
「意識が戻ったの……?」
 おそるおそる声をかけてみるもタヅカからの返答はない。
 タヅカがゆっくりとベッドをおり、しっかり自分の二本足で立った。全身くまなく覆った包帯がやはり不気味だ。その白い布の下が、もぞもぞと動いていることに真美は気付いた。
「だ、大丈夫ですか?」
 やはりタヅカの返事はない。腕の包帯の隙間から何かがぽたりと床に落ちた。米粒のような白い塊が小さく動いている。
(蛆だ……)
 それは一匹だけではなかった。タヅカの包帯の下がさざ波が打つように蠢き、ぽたぽたと白い蛆が床に落ちている。その様子に真美は唖然とするしかなかった。肉が腐ってでもいるのかと疑った。
 さらに恐ろしかったのは、包帯の下から今度は小さな黒い塊が這い出してきたときだった。それは蝿だった。蛆の成虫。羽化したてという感じではない真っ黒な体が、ヴヴヴと羽音を立てて飛び立った。それが何十何百という数に達し、タヅカはあっという間に全身が蝿の黒い体で覆われてしまった。そして「う゛ぉおおおおおおおお」という野太い叫びをあげた。タヅカの大きく開いた口から百を超える蝿が溢れ出し、真美は悲鳴をあげて部屋から逃げだした。
 同時に、部屋に充満して行き場を失っていた夥しい数の蝿の群れが、ドアを抜けて飛び出していった。


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DATE: 2016/06/25(土)   CATEGORY: MUKURO・黙示録篇
MUKURO・黙示録篇-18 (魔の狂宴Ⅱ)
 その男は老人のように白髪であった。痩躯だが、しかし肉体は若い。それは二十代のものと思われた。肌は蝋のように白く、顔には表情がない。まるで死人のようだった。
「君も生き残りだね。歓迎するよ」
 深夜の訪問者――突如現れた男に対して、城田はいつも通りに振る舞った。この魑魅魍魎が蔓延(はびこ)る大地では、憔悴のあまり誰もが死人然としていてもおかしくはない。笑みを浮かべ、右手を差し出す。「まずは挨拶を。――僕は城田といいます。この<キャッスル>の代表といったところかな」
 城田の右手はしばらくのあいだ宙に浮かんだままだった。ばつが悪くなって手を引っ込めようか思案したとき、城田は男の目を見た。その双眸の奥底は、暗黒世界へと繋がっていた。どこまでも黒い虚空が広がり、生命の輝きひとつ感じない。いま目の前にいるのはなんだ? 城田は底知れぬ恐怖に全身を包(くる)まれ、呼吸ひとつ出来なくなっていた。
「名か――」男の声は低く響いた。「私には名がない」
 男が城田の右手を掴んだ。城田は喩えようのない怖気(おぞけ)が駆け巡り、全身が粟立つ。正体不明のおそろしさ。どんな化け物にも感じたことのない恐怖だった。たった数秒の出来事だというのに、城田は目に見えるほど憔悴していった。その光景は、城田の生命エネルギーが互いの右手を介して男に吸収されているようだった。
 わずかばかりの気力を振り絞って、城田はその場にいる仲間を見遣った。目で助けを求めるも、誰もかれもが身動きひとつ出来ずにいた。それは眼前で起こっていることを理解できないばかりではない、ひとりの男から発せられる不気味な重圧に屈してのことだった。全員の本能が警鐘を鳴らしていた。逃ゲヨ――コノ男ニ関ワルベカラズ――
 それでもひとりが手にしていた89式小銃を男に向けた。意識不明の男、タヅカが集めていた火器のひとつだ。引鉄を絞る。連続した銃声が響くが、パニックのあまり照準が定まっていない。無秩序に乱射(バラ)まかれた銃弾は、床や壁を削り取るばかりで、ただの一発も男には当たらなかった。
 そのとき悲鳴が聞こえた。声の主の性別まではわからない。
 数秒後にドドドドと地鳴りのような轟きとともに黒い波が床を這って現れた。そしてキィキィという金切り音――それが鳴き声だと気付くと同時に、地を這う波が鼠の群れだといことに誰もが気付いた。数百はいる――大群だった。
 先ほどの男がまたしても銃を乱射した。銃弾は黒い波に呑み込まれて消えた。あまりに多勢に無勢。百や二百の銃弾では効果がありそうになかった。
 鼠の群れが突き進んでくるのを見ていた城田は、ふと腹に違和感を覚えた。城田は自分の腹部を見下ろす。突然すぎて痛みはなかった。ただ目の前の男の腕が、自分の腹から生えていた。
 男の腕は城田の腹を貫き、内臓を抉っていた。
 城田が絶叫する。
 男は、城田の腹から左腕を引き抜き、血に染まったその手でその白い髪をかき上げた。白髪が、血を吸うように赤く染まっていく。あっという間に、男の髪が血の赤に変わった。そしてその双眸も、燃えるような紅に変貌を遂げていた。男の本性が魔人であることは誰の目にも明らかだった。

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DATE: 2016/06/17(金)   CATEGORY: MUKURO・黙示録篇
MUKURO・黙示録篇-17 (魔の狂宴Ⅰ)
 首元に痛みが奔(はし)った。相楽幸一が顔を歪め、自らの首に左手を当てると、ぬるりとした感触が指にあった。相楽は手のひらを見た。左手が赤く染まっている。血だ。数瞬、何が起きたのかわからなかった。――が、抵抗をやめたと思っていた美琴の右手にナイフが握られていることに気付いた。
 お守り代わりの万能ナイフは、常にポケットにいれていた。美琴は殺すつもりで首にナイフを突き立てようとしたのだが、狙いが外れて相楽の首をわずかに切り裂いた程度だった。血が流れてはいるけれど、傷はそれほど深くなく、数分もすれば自然と血も止まりそうだ。美琴はもう一度ナイフを振るったが、今度は不意打ちではない。相楽の拳が美琴の頬を打つ。ナイフの切っ先は相楽の頬をかすめただけだった。
 相楽がナイフを奪い取ろうと、美琴の右腕を掴み、床に叩きつける。それでも手離さないので、さらに二度三度と叩きつけた。けれどナイフは、しっかりと握られていた。美琴の憎悪に満ちた瞳が、相楽を睨みつけていた。気に入らない。どうにも気に入らない。
 ナイフを持った右腕を押さえつけたまま、相楽が右の拳を振り上げる。そんな目つきができないほど殴りつけてやるつもりだったが、拳を振り下ろす前に、首に違和感が生じた。触ると何かがひっついている。無理やり引きはがす。右手の内にいるのは、鼠だった。その眼は赤く光っている。
 太腿に痛みがあった。そこにも鼠が喰らいついていた。どこから湧いて出てきた? 相楽が周囲を見回すと、さらに数匹の鼠が視界に入った。そして相楽は叫ぶ。悲鳴をあげる。鼠を握りしめていた右手の小指に激痛が奔った。思わず掴んでいた鼠を離して、己の指を確認する。ない。足りない。小指が欠損していた。鼠のうちの一匹が相楽に跳びかかり、首の傷に喰らいついた。それに倣(なら)うようにほかの鼠も相楽に跳びかかる。たとえようのない恐怖が込み上げ、相楽はもがいた。必死に鼠を剥がそうとするも、なかなか離れない。喰い殺される!――本気でそう思った。
 気付けば、美琴は相楽の支配から逃れ、相楽と対峙するように仁王立ちしていた。その手にはナイフが握られている。
「ま――、」
 待て、とでも言いたかったのだろうか。しかし相楽はすべてを言い終えることはなかった。ナイフが相楽の喉を切り裂いた。相楽が最後に見たのは、自分を見下ろす冷たい眼だった。彼の苦痛は意識とともに遠退いた。最後には何も感じなくなった。

 男たちは数十匹の鼠に囲まれて立つ女子高生を見ていた。男たちに湧き起こったのは「畏れ」の感情だった。彼女は、鼠を従えた女王のようだった。死の女王。鼠は死のイコンだった。
 相楽の死体にありつけない鼠が、自分たちに向かって走ってきたので男たちは絶叫し、裸のまま逃げようとした。けれど部屋の出入口には、女子高生が立っている。近づいてはいけないオーラを発していた。女王を護るためなら鼠たちは何でもするだろう。そう思わせる何かがあった。
 しかしほかに逃げ場はなかった。男のひとりが窓を無理やりこじ開けて、そこから脱出を図ったが、冷静さを欠いていたため足を滑らせ落下した。おそらく即死だ。それを見たほかの男たちは、窓から逃げるのを躊躇した。しかしそのためらいが逃げる時間を奪った。鼠は男たちに跳びかかり、肉を齧った。女たちは呆然として、それを見ていた。鼠は女たちにも襲いかかった。阿鼻叫喚の地獄絵図であった。血にまみれ、助けを求める男女の群れ。半数以上が裸だというのが、どこか滑稽ですらあった。
 鼠たちは美琴だけは襲わなかった。彼女はただ事が終えるのを眺めているだけだった。
 かくして、狂宴が始まった。

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