みやび萬紅堂。
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DATE: 2014/04/26(土)   CATEGORY: MUKURO・黙示録篇
MKURO・黙示録篇-5 (滅びゆく街Ⅳ)
 薄暗闇のなかで、血と硝煙と死臭が混ざり合い、吐き気をこらえるので精一杯だった。美琴の横には安久津の死体が転がっていて、助手席には結城の死体が、最後部の座席には顔に孔の開いた布川の死体がある。それから車内には二十匹あまりの大きな鼠の死体がそこらじゅうに転がっているのだから堪ったものではない。美琴自身は傷を負ってはいないが、安久津の――あるいは布川の――血を浴びて、制服はもちろん顔や手、髪まで赤黒く染まっていた。さらには鼠の血も無数に染みついているに違いなかった。とにかく肌をぬめる血が気持ち悪い。
 牧と、それから金髪男――村尾というらしい――によって、すでに車内の鼠は一匹残らず息の根を止められていた。けれど横転したランドクルーザーの上を――あるいは下を、そして横を――雪崩るように駆け抜ける鼠の群れのせいで車内に閉じ込められているといった状況だった。窓という窓が鼠の群れで覆われていて、陽光は群れの切れ目からわずかに届くばかりだった。もしドアを開ければ途端に鼠どもがなだれ込んできて、この場にいる全員があっという間に喰らい尽くされてしまうだろう。あとには骨も残らないかもしれない。車内には鼠どもの足音のほかに、キイキイという鳴き声と、車のボディを引っ掻くカリカリという音が響いていた。中には窓ガラスを喰い破ろうとする鼠もいて、美琴の目の前では巨大な鼠がカーウインドウ相手に必死に歯を立てていた。見ているとそのうち本当に窓を突き破るんじゃないかと恐ろしくなるが、いまのところそうはなっていない。ほかにも窓に開いた孔から入ろうと鼻先を突っ込む鼠もいた。この孔はおそらく安久津の撃った銃弾が開けたものだろうと美琴はボンヤリ思った。
 すでに10分近くが経とうとしている。
 がりがりと鼠が窓ガラスを齧り、ガラスが少し欠けるのが見えた。鼠の鼻面が拡がった銃痕から生え出てきていた。この鼠がここを突破して、車内に入り込むのも時間の問題かもしれない。今なら覗けた鼻面を叩けば撃退できる気もしたが、結局は二匹、三匹と同じことをする鼠が現れるだけで、いたちごっこに終わるだろうと思うとそうする気力も湧かなかった。
 そのとき、目の前で窓ガラスを齧っている鼠の姿が、突然消えた。
 一瞬なにが起きているのかわからなかった。すると他にも同じように消える鼠の姿があった。どうやら何かに連れ去られているらしい――と美琴は気付き、よくよく様子を窺っていると、ガッと何かがランドクルーザーの車体に降り立ったのを感じた。また一匹と鼠が消え、そこに出来た隙間から大きな鳥――鷲か、鷹か、鳥には詳しくない美琴には判断つかなかったが、とにかくその類の鳥が鼠を喰っているのだとわかった。
 思わぬ天敵の登場に、鼠たちに動揺が広がるのが美琴にも理解できた。それまでひとつの流れだった鼠の大進行が、急に統制を失い、それぞれが右往左往に逃げ惑い、散っていくのがわかった。
 美琴は、鼠が消え去り、視界が開けたカーウインドウから外の様子を窺った。数羽の鷹だか鷲だかが、鼠どもを蹴散らすように襲いかかっている。たった数羽だけで、これだけ鼠の群れをパニックに陥れるとは――美琴は信じられぬ思いだった。
 そこに――巨大な影が舞い降りてきた。
 それは2メートルもあろうか、巨大な怪鳥だった。白亜紀――それともジュラ紀? ともかく恐竜の時代の鳥類といった感じの化け鳥だった。羽は赤く、覗ける表皮はゴツゴツとした印象で、嘴(くちばし)というよりは鰐(わに)のものに似た口にはギザギザと鋸(のこぎり)のような歯が並んでいる。その化け鳥が、鼠を襲っていた鳥を一掴みし、鋭い爪で引き裂いた。そして出来たてで新鮮な屍肉を喰らった。ひと呑みだった。鼠どもはさらなるパニックに陥っていた。怪鳥は、今度は逃げ惑う鼠の群れに頭を突っ込み、がぶがぶと喰った。豪快な喰いっぷりだった。美琴は唖然とするほかなかった。おそらく牧や村尾も同じ思いだろう。
 すぐに鼠は、散り散りに逃げるか、怪鳥に喰われるかしてあたりから姿を消した。
 そして次に目をつけたのは、美琴たちだった。怪鳥はドタドタと足音を立てながら勢いよく地上を駆け、美琴たちの乗るランドクルーザーに体当たりした。ランドクルーザーが数回転したあと、仰向けの状態で止まった。
 美琴は天井に――もはやどちらが天井かわからないほどだったが――少し頭を打った程度で、大きなケガはなかったが、車が回転を止めたとき、隣にあった安久津の死体が覆いかぶさってきて悲鳴をあげた。死体は、慌てて突き飛ばした。
「大丈夫か」
 牧が2人の無事を確認したあと、ひっくり返ったランドクルーザーから這い出した。その手にはマシンガンが握られていた。
 マシンガンが勢いよく銃弾を吐きだした。
 たたたた、とリズミカルに吐きだされた銃弾は、怪鳥の躯(からだ)に次々と穴を開けていく。怪鳥がキイイ――と呻いた。もしくはクエエ――だったかもしれない。猿の鳴き声にも似ていた。
 装填されていた全ての銃弾を吐きだし尽くしても怪鳥はまだ生きていた。よろよろとした様子から相当なダメージを負っていることは確かだけれども、しかし生きていた。牧は運転席に潜り込み、シート下から鉈(ナタ)を抜き出した。そして助手席のグローブボックスから拳銃も取り出し、走った。拳銃を撃ちながら距離を詰める。すぐに全弾撃ち尽くし、弾切れになった拳銃を捨てた。
 そして、手持ちの鉈を振るう。
 刃は怪鳥の首にめり込んだものの、切断するには至らなかった。牧が鉈を引き抜く。
 もう一度、鉈を振るった。
 今度は相当深く入った。牧は渾身の力を振るい、さらに刃を喰い込ませた。
 怪鳥が悲鳴のようなものをあげ、その鋸状の歯で、牧に喰らいついた。牧の肩に、怪鳥の鋭い歯がめり込む。
 しかし、すでに決着はついていた。
 牧が最後の一押しをすると、怪鳥の首が胴から離れ、赤い噴水が上がった。怪鳥の首は、惰性で牧の肩に喰いついてはいるが、力は弱々しかった。
 牧は、怪鳥の頭を掴んで、地面に投げ捨てた。

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DATE: 2014/04/19(土)   CATEGORY: MUKURO・黙示録篇
MUKURO・黙示録篇-4 (滅びゆく街Ⅲ)
 助手席のドアを開け、3人の若者たちに声をかけようとしたとき、結城は地鳴りのようなものを耳にした。どこかで土砂崩れでも起きたのかと疑うようなドドドという震動を伴った音の群れは、次第に近づいてきているように感じる。3人の若者たちは突然の地鳴りに、戸惑っている様子だった。結城は運転席の牧を見た。牧も何なのかわからない――と目で答えるだけだった。
 そのとき――、
 黒い波が見えた。
 結城は黒い波がドドド――と押し寄せてくるのを見た。それは車道も歩道も呑み込みながら突き進んできている。波はキイキイと鳴いていた。それが、結城たちまであと20メートルといった距離まで迫ってきたとき、結城はそれが何なのか理解した。
 それは、鼠だった。
 数千――いや、あるいは億単位の鼠の群れが、通り道に黒い大海を築きながら、津波のように迫っていた。あまりの夥(おびただ)しさに、結城は息を呑んだ。呼吸を忘れていた。そして思考が逃げるべきだと訴えたときには、もう遅かった。鼠の大群が、結城たちを呑み込んでいた。始めの数十匹がボンネットやフロントウインドウに乗っかったと思うと、残る大群があっという間に結城たちの乗ったランドクルーザーを呑み込んだ。車のボディや窓ガラスを引っ掻く音が豪雨のように降り注ぎ、結城は唖然とした。車体が完全に吞み込まれる寸前に、目の前にいた3人の若者たちが鼠の波に襲われるのを目撃(み)た。すでに化け物が這いずり回るような世界だが、まるで悪夢だと結城は思った。
 鼠の群れに吞み込まれ、結城は慌ててドアを閉めたが、すでに車内には十数匹の鼠が侵入していた。優に20センチ以上ある大柄の鼠が、結城の膝の上に乗った。いや、30センチ近くあるだろうか――と結城はボンヤリ思った。それで、種類はいわゆるドブネズミだろうという見当はついた。ドブネズミは一般的に見かけることの出来る鼠の中でも大柄で、結城も何度か見たことがあったが、それにしても大きい鼠だと思った。そのドブネズミが、キイキイと鳴きながら腹を這って登ってきたので、結城は慌ててそれを払った。――が、足元から新たに何匹かがよじ登ってくるのを感じて、思わず悲鳴をあげた。
 運転席では、体格の良い牧が、身体をよじ登ろうとするドブネズミを数匹、素手で叩き潰しているのが見えた。窓ガラスが、ドブネズミの血で赤く染まっていた。結城もそれに倣(なら)ってドブネズミを叩き潰そうとするも、反撃に遭い、右手の肉が噛み千切られた。血の溢れ出る右手を押さえつつ、叫ぶ。「助けてくれ!」
 後部座席――シートの2列目に天嶺美琴と安久津が、3列目に残る2人が座っていた――を見遣ると、安久津がリヴォルヴァーの銃口をドブネズミに向けていた。安久津の目は恐怖と狂気でギラつき血走っていた。銃声が鼓膜を打った。血が煙(けぶ)る。さらにもう一度、引き金が引かれた。火薬臭さが鼻を突いた。
 ――途端、視界が――身体が――、回転した。
 結城は、ドブネズミの群れに車が押し返され、横転したのだと悟った。万を超すドブネズミの大群にかかれば、車の一台くらい簡単にひっくり返るらしい。そのことに驚愕と――凄まじい恐怖を覚えた。死ぬ――おれは、きっと、死ぬだろう。そう確信した。
 己の死を目前に感じ取った結城の脳裡をよぎったのは、娘の江利子のことだった。妻は江利子が小学校に上がると同時に交通事故で死んだ。それから結城にとっては、娘の江利子が人生のすべてだった。――少なくとも、結城自身はそう思っていた。たまの些細なケンカを除けば父娘仲はとてもよかったし、男手ひとつで立派な娘に育てたという自負もある。江利子も大学の卒業を間近に控え、来年からは社会人だった。おまえももう社会人か――、と結城が独りごちると、おかげさまでね、と江利子が言ったのをよく憶えている。それを聞いて、わけもわからず涙が溢れ、結城は娘に隠れて泣いた。よくここまで育ってくれたという想いが湧いて出たのだった。翌日、結城は妻の墓前でそのことを報告した。おれたちの娘は充分すぎるほど立派に育ったよ。おれには充分すぎるほど立派に。そう遠くない将来、あいつも相手見つけて結婚するのかなあ――。
 走馬灯のように、結城は娘と過ごした人生の半分を思い出していた。あの地震以後――つまりは地上に魑魅魍魎が湧き出たあと――娘の行方はわからなくなってしまっている。回線が混み合っているのか、基地局がダメになってしまったのか、携帯は繋がらなくなっていた。自宅は化け物どもの巣になり変っていた。戻る家を失ったという絶望と喪失感とが混ざり合った闇の中で、残る唯一の希望が娘・江利子だった。もう一度娘に会いたい。できれば嫁にいくのを見届けて、孫の顔も拝みたかった。でもおれはもうダメだろう――血と一緒に全身から力が抜けていくのを感じていた。腹に孔が開いていた。ドブネズミに喰い破られて出来たものだった。後部座席では、安久津が発狂したみたいに鼠と闘っているのが見えた。銃把(グリップ)の底でドブネズミを叩き潰しにかかっていた。見ると銃把を握る右手の小指がない。鼠に喰われたのだろうか。あるいは最初からなかったのかもしれないが。
 ――そこに、別のドブネズミが飛びかかり、安久津の喉元を喰い千切った。血の噴水が舞った。それでも安久津は左手で喰い千切られた喉元を押さえつけ、また一匹ドブネズミを叩き潰した。けれど指の隙間から血が溢れ洩れる。パニックに陥った安久津が車外に逃げようとし、それを金髪頭の村尾が止めた。外に出たら死ぬぞ。安久津が村尾を殴った。それでも村尾は安久津を離さない。てめぇひとりで死ぬなら勝手にしろ。けど他人を巻き込むんじゃねえ。安久津の貌は、恐怖と焦燥、そして怒りで歪んでいた。リヴォルヴァーの銃口を村尾に向ける。やめろ、ふざけんな! 村尾が叫んだ。
 安久津が引き金にかける指に力を込めると同時に、安久津の顔にドブネズミが飛びかかった。銃口が数センチ逸れ、銃弾は発射された。村尾の横にいた布川の後頭部が弾け、布川は崩れた。飛び散った布川の脳みそにドブネズミが喰らいついた。
 ―――ここは地獄だ。
 視界が霞み、意識が遠退いていくのを感じつつ、結城は思った。ここは地獄だ。ドロドロの地獄だ。誰も彼もが、この地獄に吞み込まれ、死んでゆくんだ――。
 死の直前というのは、痛みも苦しみも喉元を過ぎたように消え去り、思いのほか穏やかだった。ただただ深い眠りに就くのだという気持ちだ。そしてこの眠りから覚めることはもうないのだ。結城は薄れゆく意識の中で娘の無事を祈った。最後に出来ることはそれだけだった。生きていてくれさえばいい。どうか生き抜いていて欲しい。結城は、自分の意識が闇に吸い込まれていくのを感じながら、娘のことを想い、心のなかで名前を呼んだ。

 江利子――……

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DATE: 2014/04/12(土)   CATEGORY: MUKURO・黙示録篇
MUKURO・黙示録篇-3 (滅びゆく街Ⅱ)
 男たちは5人で行動していた。中でも大男の牧がグループのリーダー格なのだろうと美琴は考えた。ほかにはヤクザのような風体――黒スーツに坊主頭――の男、40代くらいの優男風、金髪の若い男、そしてもうひとり華奢でおとなしそうな若い男がいた。
 優男風が結城と名乗り、名前を訊ねてきたので美琴は正直に答えた。華奢な男は布川と自己紹介してきたが、残る2人は名乗らなかった。
「そこに車があるんだ」と結城が言った。そのとき、彼らが生存者の集まる拠点地からは車で来ていたことを知った。ということは結構な距離があるのだろうか? 美琴は湧いてくる疑問の数々をあえて訊ねることはなく、ただ頷いた。「行こうか」
 車は、黒のランドクルーザーだった。この車が誰のものかはわからないが、運転席には牧が座った。助手席には結城がつき、美琴を含めた残りの4人は後部座席に回った。美琴の右隣にはヤクザ男が座ったのだが、男はニヤニヤと笑みを浮かべては品定めでもするように美琴を眺めてきた。不快な男だ、と美琴は思った。
 ランクルがエンジンを唸らせて発進した。ふと美琴は、向かう先に着替えはあるだろうか気になった。もう何日も同じ制服を着ている。しかも血で汚れている。久しぶりに人と会って、いい加減に着替えたい気持ちになっていた。牧は生存者が集まっていると言っていたが、いったい何人くらいなのだろう。30人? もっといるだろうか。50人――いや、60人くらいいるかもしれない。それだけいれば物資の確保も出来ているのではないか、という気もする。たとえ無いとしても、近くに服屋でもあればそこを覗いてみればいい。まさかこんな状態になってそれは泥棒だと言う人間もいないはずだ。
「家はどのあたりなの?」
 助手席の結城が訊ねてきたので、美琴が家の住所を答えると「ああ、あのあたり」と結城は思い出すように言った。「ご家族のこと、心配でしょう」
 家族のことなど微塵も心配していなかった。両親ともにすでに死んでいるものと考えていたし、生きているとしても捜そうとは思わなかった。どこかで生きているならそれでもいいけれど、自分とは関係ない。そう思った。でもそんなことは言わず、美琴は黙っていた。結城はそんな美琴を見て彼女の心中を察し――それは結城による勘違いなのだが――、それ以上なにも言わなかった。
 車に揺られていると、ヤクザ男の手が這うように伸びて、美琴の太ももに触れた。実に不愉快だった。この男は自分のことを性の対象として見ている。――というより、性の対象としか見ていない。こんなやつの仲間になることになるのか、と思うと今からでも車を降りたくなる。
「やめて」強い口調で、はっきりと言った。それでもヤクザ男は、聞こえないふりをして太ももを触り続けている。「やめて」
 布川はあえて目をそらしているようだった。気の小さい男なのだろう、ヤクザ男のことが怖いのだと美琴にはわかった。金髪については、美琴のことなどどうでもいいといった感じだった。
「安久津さん、やめてあげてくださいよ」
 結城に注意を受けて安久津はあからさまに不愉快といった表情を浮かべた。それを見て不愉快なのはこっちの方だ――と美琴は思った。
「ンだよ、いいじゃねえかよべつに」
「揉め事はカンベンですよ、私は」
 何やらぶつぶつ言いながら、安久津が手を引っ込めた。けれど美琴の気分は晴れない。この男の触れたところを消毒したい気分だった。「誰かいるぞ」
 牧が車を停めた。前方に、3人の男たちが立っていた。いずれも若い。20歳前後といったところだろう。男たちは合図するようにこちらに手を振っていた。
「ちょっと車内が窮屈になりそうですね」と結城が言った。確かにその通りだ、と美琴が思った次の瞬間、ドドド――と地鳴りのようなものが聞こえた。

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DATE: 2014/04/07(月)   CATEGORY: MUKURO・黙示録篇
MUKURO・黙示録篇-2 (滅びゆく街Ⅰ)
 美琴は眠り続けていた。名もない犬の死骸を抱いて、眠り続けていた。すでに3日が経っている。地獄から溢れ出た化け物どもが、人々を――あるいは世界を――蹂躙する世界で、美琴は昏々と眠っていた。化け物相手の犬の敵討ちに、気力も体力も使い果たし、意識は深い海の底を揺蕩(たゆた)い続けた。彼女が化け物に襲われず、3日も眠り続けることができたのは一種の強運というしかない。彼女のあまりに深い眠りは、まるで世界を拒絶するかのように見えた。
 ぐるるるゥ―――
 不穏な唸り声を耳にして、天嶺美琴は顔を上げた。久しぶりの世界の光に一瞬目がくらむ。明るさに慣れてきた目線の先には、黒い影があった。犬だ――、と美琴は思った。が、それはすぐに否定された。
 まず犬の頭が見えた。美琴がほっとすると、その隣にもうひとつ犬の頭が並んでいることに気付いた。そして反対隣には猫の頭。
 美琴はずざりと後ずさった。視線の先にいるモノは、犬の頭と猫の頭を持ち、体躯(からだ)からは人のものに見える腕が生えていた。その生白い腕が、足の代わりに<それ>の体躯を支えている。体毛はまだら模様に色が混じっていて、ところどころ禿げて白い皮膚が覗けていた。腕と同じく、生気のない色だ。
 <それ>は犬と猫、それぞれの口からよだれを垂らしながら、ゆっくりと美琴の方へと近づいてきている。実に醜悪だ、と美琴は思った。動物同士を、粘土を捏ね合わせるようにごちゃ混ぜにしたその姿は、醜悪の一言に尽きた。それは自分を蔑(ないがし)ろにしてきた人間たちと同じ醜悪さだと思った。よく見ると<それ>の腹には、人のものと思える顔がくっついている。これは――自分をゴミのように扱ったあいつらの心をカタチにしたような醜悪さだ。美琴は胸にむかつきを覚え、自分の奥底から激しい怒りを伴った敵意が芽生えるのを感じた。いま自分の目の前にいるのはあいつらそのものじゃないのか? という考えが美琴のなかで膨らんでいき、それは怒りの感情とともに身体中を拡がっていった。血液のように手の指先から足の先と身体の隅々まで巡っていく。全身が怒りで漲(みなぎ)り、深い憎悪と明確な殺意の色が、少女の双眸に浮かんだ。
 少女は、連れ添っていた犬の命を奪ったナイフを握り締め、<それ>に向かって一歩踏み出す。
 死んでも殺す、という、決意。
 その瞳には、暗い感情の炎が揺らめいていた。
 次の瞬間、激しい音の嵐が少女を襲った。いったい何が起きたのかわからなかったが、目の前の<それ>が血しぶきを上げている。美琴はあたりを見回す。――男がいた。男は小銃を構え、銃弾をばら撒いている。放たれた銃弾が<それ>の体躯を抉っていく。さらに別の銃声が聞こえたと思うと、違う男が片手に持った拳銃の銃口を<それ>に向けていた。
 銃口が吠え、肉が弾ける。
 醜悪な<それ>が、降り注ぐ銃弾の雨に倒れた。
 身動きひとつしなくなった。
 <それ>は思いのほか簡単に、死んだ。美琴はどこか拍子抜けしていた。
 それにしてもこの男たちは何者なんだろう? あたしは助けられたの?
「大丈夫か?」
 小銃をぶら下げた男が言った。がっしりとした大男だった。野性味あふれる貌が、猪首に乗っかっている。右の眉尻には傷痕が見える。どこか感情の読み取りにくい表情のせいか、美琴の男の印象は「岩」だった。岩のように強固で、動じず、耐え忍ぶイメージが浮かぶ。
「だいじょうぶ、です」
 美琴は緊張で、ちょっと声が上擦った。目の前にいるのが何者かわからない以上、どう対応したらいいのかわからない。窮地から救ってくれたのだから味方と思っていいのかもしれないが、その武器はどこで手に入れたのだろう。美琴は初めて見る人殺しの道具に、物騒な印象を否めなかった。
「俺の名前は牧 健吾という者だが――きみはひとりなのか?」
 牧は言葉を選んで喋っているようだった。相手が女の子だからかもしれない。無骨な外見に似合わず、どこか繊細さを感じる。美琴は、そんな牧に好印象を抱いた。
 牧の問いかけに美琴は答えていなかったが、その沈黙を牧は肯定と受け取ったようだった。彼はうむ、と頷いて小銃を握り直した。
「俺たちは生存者を捜していたんだ。きみの他にも多くの生存者が残っていて、ここから少し先の町に集まっている。きみも来るといい」
 簡潔な物言いだった。
 生存者という言葉に、ああ、大勢の人間が死んでいるんだな、と美琴は思った。どれだけの人間が死んだのだろう? 死ぬときは苦しかっただろうか。少なくともクラスメイトには苦しんで死んでいてもらいたかった。実際苦しんで死んだだろう――と美琴は思う。
「いいよ。行く」
 美琴は血のついた万能ナイフの刃を制服のスカートで拭った。ナイフを収納してポケットに収める。その様子を見て、牧がすこし眉を顰(ひそ)めた。野蛮な女だと思ったのかもしれない。どうぞご勝手に――と美琴は思う。好きなように思えばいい。
 あたしは生きている。他のやつらは死んだ。それだけだ。地獄の門が開放された今、ナイフを手に取る者だけが生き残る。それだけだ――そう、美琴は思った。

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