みやび萬紅堂。
いらっしゃいませ。コメントはお気軽に。
DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
DATE: 2010/07/31(土)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(10)
 その扉は簡単な力で開閉するようなものだったが、幸いなことに地面蜂はそれ以上追って来なかった。それを確認して、2人は安堵する。
 未来は息を荒くして、その場に倒れ込んだ。
 それを呆然と西田は眺めている。
 先ほどの気色悪い生き物を思い出して、西田は身震いをしそうになった。――なんだあの化け物は。
 再び視線を未来に向け、ごくりと唾を呑み込んだ。
「未来ちゃん…」
 いつもとは微妙に違う西田の声色に、未来は違和感を覚えた。
「西田さん、どうかした――」
 未来が全てを言い終える前に西田は彼女に飛びついた。被さるように上になり、荒い息を未来に吹きかけた。彼の舌が未来の口にねじ込まれる。未来は必死に抵抗した。しかし西田は体格が良い。上背もある。未来が少し暴れたところで敵う相手ではなかった。強い力でその場に押さえつけられ、西田の舌が未来の首筋を這った。
 予想だにしなかった西田の急変に未来は声も出ない。
 一体、彼に何が起こったのか? それは先ほど彼が感じたとてつもない死の予感が原因だった。人面蜂を前に、西田は自分の死を意識した。確実に殺されると思った。いずれ他の蛹も同様に羽化を始めるだろう。そうなれば自分たちが生き残る術はない。――だったら。
 そこで彼は思ったのだ。
 だとしたら――もう死ぬしかないとしたならば。最後に自分が好きなことをしてもいいのではないか? それくらい、許されるのではないか? そもそもにして、許されなくとも彼を罰する人間などこの場にはいなかった。世界は魔界と化した。法は意味を為していなかった。そこは無法であった。ならば、いま自分がしていることも罰せられることはない。それに、どうせ自分はもうすぐ死ぬのだから。もう何も恐れることなどなかった。最後に少しばかり楽しんで何が悪い。
 乱暴に胸を揉み、首を吸った。服の下にいやらしく手を伸ばす。未来の肌は柔らかかった。まだ若く、ハリもある。西田は無理やりに服を剥ぎ取り、露わになった未来の乳房にむしゃぶりついた。理性の箍(たが)などとうに外れている。自分の脚で彼女の脚を押さえつけ、急いでベルトを緩めた。西田のペニスが現れる。それは未来の股の間に擦りつけるように当てられた。
「やめてください!」
 やっと出た抵抗の声も西田の耳には届きはせず、彼は未来の内部(なか)に己の一部を挿入しようとする。未来は彼の下で泣きながらもがいた。
「未来ちゃん、どうせ俺たちは助からない。見たろ? あの数。知らない間に俺たちは魔物の巣にいたんだよ。あの数から逃げ切るなんて到底無理な話だ。――だったら死ぬ前にいいことしようじゃないか? どうせ死ぬなら最後に気持ち良いことしたいだろう?」
 屹立した西田のペニスが改めて未来に向けられる。
 もうどんな声も彼に届きはしないだろう。
 彼の目はすでに正気を失っているのが未来には見て取れた。
 西田は極限のストレスの中で自分を見失い、とっくに壊れてしまったのである。


つづきを表示
スポンサーサイト
[ TB*0 | CO*0 ] page top
DATE: 2010/07/29(木)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(9)
 永い時間が経った。正確な時間はわからないが、少なくとも未来にはそう感じられた。未だ助けは現れていない。おそらく、この先も助けが来ることはないだろうという予感はあった。いずれここを離れなければならないだろう。
 しかし食料が豊富にあるこの場所を離れることが得策かどうか、未来には判断できなかった。まだここに残っていた方がいいのかもしれない。急いでも状況は好転しないだろうことはわかっている。ただ、気がかりなのは弘之のことだった。彼の右脚は化膿を始めていて、早く医者に見せる必要があった。動くなら体力のあるうちにしなければならない。そろそろ決断しなければならなかった。
「あの、西田さん」未来の呼びかけに西田は振り向き、続く彼女の言葉を待った。「やっぱり弘之の怪我は医者に見せた方がいいと思うんです。放っておいても治るかわからないし。だから、わたしたちはここを出ようかと思って……」
「そうだね、確かに弘之君の脚は医者に見せた方がいいと思う。――ただ外には相変わらずやつらで溢れかえっていて危険だよ? もう少し様子を見てみてもいいんじゃないかな?」そこまで言って、西田の顔に真剣さが増した。「もし出られそうだったら俺が医者を探しにいく。弘之君のその脚だと移動は大変だろうし、その方がリスクは低いと思うから。だから未来ちゃんは弘之君のことを看てあげてくれないかな」
 それは未来にとって思ってもみない提案だった。自分たちの代わりに医者を探してくる? 考えてみれば未来が弘之を連れて医者を探すよりも安全性は高く、より確実だろう。
「本当に、いいんですか?」
「もちろん構わないよ。1人の方が動きやすいし、だからといって未来ちゃんを1人で行かせるわけにもいかないだろ? だから俺が行くよ。簡単に見つかるかはわからないけれど、きっと医者をここに連れてくるから」
 なんと頼もしい言葉だろうか。
 今の未来には西田の提案を受け入れない理由はなかった。もし西田が了解してくれるならば、断然その方がありがたい。状況は藁にも縋りたいものだのだ。未来は彼の提案を素直に受け入れることにした。「じゃあ、お願いします」


 弘之の体は熱っぽく、体力は目に見えて消耗していた。
 彼はもはや動くのもままならない状態になっており、未来も彼から離れようとはしなかった。ペットボトルのミネラルウォーターを片手に持ち、ときたま彼の口に水を注いでやる。弘之は何度も未来に謝った。「悪いな」
 さて、ついに西田が建物の外に出ることを決意して立ち上がった。一歩踏み出せば魑魅魍魎が跳梁跋扈する危険な魔界に再び戻ろうとしていた。
 地下フロアから階段を上がり、1階に出る。見送ろうと西田のあとを未来が追った。不意に、西田の足が止まる。――様子がおかしい。
 いつの間にかデパート内部の壁に大きな塊がいくつも引っ付いていた。有機的なそれはどう見ても生物ではなかったが、それでも生きているかのように脈打っているように見える。それはまるで蛹(さなぎ)のようであった。
 ――蛹。
 その言葉も持つ意味は考えるだけで恐ろしいものである。つまりそれは、いずれ羽化するということだ。その内部から現れるものは――あの化け物の仲間以外にあり得ない!
 内部(うちがわ)から胎動しているそれが外界(そと)に這い出してくるのはいつなのか。
 未来はごくりと息を呑んだ。
 ミシミシ――実際にそのような音が聴こえたかどうかはわからない。だが、未来にはそんな音がした気がした。蛹の有機的な殻に亀裂が入っている。まさに今、2人の目の前でそれは羽化を遂げようとしているのだ!
 西田はたじろいで一歩さがり、携えていた木製のバットを強く握った。果たしてこの武器が化け物に通用するかどうかは本人にもわからない。しかし何もないよりはましだ。
 ミシミシ。亀裂から何かが見えた。――顔だ。それも人の。
 一気に蛹を破ってそれは飛翔した。羽音は辺りに反響する。速い。蛹から飛び出したものを、未来は一瞬見失いそうになった。再び視界の中央に捉える。それは人の顔を持った、巨大な蜂だった。――人面蜂。
 能面のようなのっぺりとした表情で、それは未来を見つめていた。絡みつくようないやらしい視線が彼女に向けられた。それを見て西田が叫ぶ。「逃げろ! こっちだ!」
 導かれるままに未来は走る。疾駆(はし)る。階段を昇った。先行する西田を必死に追いかける。後方からは人面蜂の羽音が近付いてきていた。
「こっちに!!」
 そこにあるのは業務員通路に繋がる扉。2人は全力で扉の向こうに飛び込んだ。


つづきを表示
[ TB*0 | CO*2 ] page top
DATE: 2010/07/27(火)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(8)
 その男は自分が意識を持った次の瞬間には、その鋭敏な感覚を以って彼の存在を確かに感じ取っていた。ゆっくりと長身痩躯が立ち上がる。彼はまだ気付いていない。自分と似た存在の彼を男は面白いと感じた。
 面白い――男は彼に興味を抱いた。
 いずれ2人が出会うだろうことは、このとき運命として定められたのかもしれない。しかし彼はまだ何も知らない。彼はまだ彷徨っていた。


 ***


 地下1階――高儀 未来と佐々木 弘之は食品売り場にあったペットボトルの水をゴクゴクと飲み干して、目についた適当なものを口に運んだ。喉はずっとカラカラだったために、ミネラルウォーターが全身に行き渡るのを感じる。空腹も満たされると眠気が現れた。疲れで体が重い。一時の避難場所を得て、極限まで張り詰めていた緊張の糸も緩んでいた。弘之のまぶたが自然とおりてくる。
 未来は眠りかけている弘之を見た。右脚の怪我は布地できつく縛って応急処置としていた。何か手当てするにも2人には知識がなかったし、この場にあるものも限られていた。出来れば医者に見せたいのだが、この状況で見せられる医者が見つかるのかどうかはわからない。とりあえずは今の状態で乗り切ってもらうしかなかった。
 思わずあくびが出る。
もちろん疲れているのは弘之だけではない。未来もまた休息が必要なほどに疲れていた。しかし2人が一緒に眠ってしまうのは危険だった。一応ここは安全のようだが、それでも確実ではない。それに状況は変化するだろう。彼女は、外の魑魅魍魎たちが建物の内部に入り込んでくるのも時間の問題なのではないかという気がしていた。


 結局、未来は眠ってしまっていた。そんな彼女が目を覚ましたのは気配を感じたからだった。目を開けると視界には見知らぬ男が立っている。歳は20代前半くらいだ。男の手には木製のバットが握られていた。驚きと恐怖で、未来は思わず悲鳴を漏らしてしまった。
「どうした!?」
 悲鳴を聞いて弘之が飛び起きた。次の瞬間には状況を把握する。男が自分の目の前に立っていた。男は笑顔を見せてきた。――何者だ?
「あんた、誰だよ」
 弘之が攻撃的な口調で問う。
「まあ、落ち着いて。俺は敵じゃない」男に取り乱した様子はない。「俺は西田。化け物から隠れるためにここにいたんだけど、そこにきみたちが来たんだよ」
 西田はなかなかの長身だった。スポーツをしているのだろうか、肩幅が広く、全体的にがっしりとした印象がある。
「西田さん、ですか」
 どうやら悪い人間ではないようだと弘之は思った。味方が増えてくれるならそれに越したことはない。
「大丈夫? 怪我してるみたいだけど」
 西田は弘之の脚を指した。
「あ、はい。大丈夫です。なんとか」実際はだいぶ痛んだ。「あ、俺は佐々木 弘之って言います」
「そっか。弘之君ね。よろしく」
「こちらこそ」
 友好的な西田に、先ほどは悲鳴をあげてしまって申し訳なさを感じながら、未来も自己紹介をした。
「未来ちゃんか。よろしく」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 西田は笑顔で手を差し出してきたので、未来は同様に腕を伸ばした。2人の間で握手が交わされる。
 3人はしばらく今後のことについて話し合った。特に西田はこの先のヴィジョンについて明確なものは持っていないようだった。とりあえず現段階では居られるだけこの場所に隠れているしかないらしい。その点については未来も弘之も仕方ないと納得していた。
 ――しかしこの状況がいつまで続くのだろうか?
 この先ずっとここに居続けるわけにいかないことは明白だろう。いずれ助けがくればそれまで耐えれば済む話だが、もしも助けが来ないとするならば、活路は自分たちで切り開かなくてはならない。どこまで逃げれば安全地帯なのだろうか? そもそもこの世界に安全地帯がまだ残されているのか? もしそんな場所はすでにどこにもないとしたなら――
 残されているのは絶望という名の地獄。


つづきを表示
[ TB*0 | CO*0 ] page top
DATE: 2010/07/26(月)   CATEGORY: 雑記
おお、憧れの山風。
今月から始まりました、角川文庫から山田風太郎ベストコレクションが刊行されていきます。
全24冊が予定されているようですが、中には持っているものがあるものの田島昭宇がカバーイラストを手掛けているせいもあって、何冊かは買い直したいくらい。未読のものは、積極的に買っていくつもりです。

山田風太郎で、最初に読んだのはおそらく「魔界転生」。それに続いて忍法帖シリーズの発端となった「甲賀忍法帖」で、この「甲賀忍法帖」にはやられてしまった。現在は「バジリスク」というタイトルでコミカライズされていて、のちにオダギリジョー、仲間由紀恵の主演で映画化も。
映画はちょっとわかりにくい展開で、いまいち入り込むことが出来なかったのだけれども原作は超面白い。バイオレンス&エロスの真骨頂だと思ってます。物凄く妖艶で、血みどろで、奇想天外な世界観の忍法帖シリーズは本当に面白い。その面白さの要因は独創的なアイディアだけではなく、巧みに史実を取り入れているあたりも大きいのではないかと思っています。おそらく、歴史にも深い理解を持っていた人なのではないでしょうか(「人間臨終図巻」を書いていることからも、それは窺える)。

山田風太郎の描く人物も常にユニークで、エンターテイメントという観点からはほぼ隙がないのではないかと思ってしまうほど、面白い作品を生み出しています。

それくらい山田風太郎はスゲエ!と思っていて、俺の憧れで、リアルタイムで読みたかったと心底思える人。
まぁ、それほど好きなのにも関わらず、現在読めているタイトルはごく一部なのだけれども、でも、1冊読めばスゲエ人だってことは充分にわかってしまうんですよね~。


そして、


山田風太郎賞が新設されるらしい。


個人的にはかなり興味津々な賞で、今後受賞される方がどういう作品を書くのか今から楽しみだったりするほど。山田風太郎賞に対する、俺のハードルは相当高いと思う。


それと同時に、


山田風太郎賞獲ってみたいなぁ、なんて思ってしまったり。


今まで賞とかに興味はなく、そもそも職業作家になりたいわけでもないし、自分の力量は痛いほどわかっているので、なりたくても商業的作家になることは出来そうにないってことも理解している。


にも関わらず、この山田風太郎賞は憧れる。


いいなぁ。俺、この賞獲れたら自慢しちゃうなぁ。
特に、第1回の受賞者になりたいよね! 第1回山田風太郎賞の受賞者なんてかっこいいなぁ。

自分は常にエンターテイメントを目指したいと思っている。
テーマやら何やらがあったとしても、まずは面白いことが大事だろうと思っている。

戦後、文学の分野でエンターテイメントを体現した作家・山田風太郎。

山田風太郎賞に憧憬を抱きながら、今後は少しでも山風に近付きたいと思ってしまった。
別に職業作家でなくとも、山田風太郎賞が獲れなくとも、俺はこうしてこの場で、自分なりに面白い作品を追求したい。
それには、今のままではダメだと思う。限界は見えている。新しいやり方を見つけなくてはならない。自分の才能に限界があったとしても、まだ面白くなれるはず。これだけ稚拙なのだから、もっと面白い作品を生み出せるはず。誰だって、練習すればある程度は泳げるし絵を描ける。それと同じことなのだと思う。まだ才能が物を言うレヴェルすら達していないのである。それならば、俺の限界まで目指したい。天才とは、1%の霊感と99%の努力だとある偉人は言った。すなわち、いくら努力しても1%の霊感がなければ天才足り得ないという意味なのだが、だったら俺は才能が要らない99%まではやってやろうじゃないか、という気になっている。
それには長い時間が必要かもしれない。どれだけの年月で、才能が勝負する世界に辿り着けるかもわからない。それでも地道に、俺はその世界に到達したい。才能がなければ、仕方ない。それ以上は存在しない。それでも今より面白いものが書けるというなら、俺はそこに辿り着きたいと思っている。

山田風太郎賞の創設を受けて、俺は俺がやれるところまでやってやるぞ!という気になってしまった。



ああ、もっと面白いものが書きてえなぁ。


[ TB*0 | CO*4 ] page top
DATE: 2010/07/25(日)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(7)
 行く先などわからない。どこまで逃げればいいのかも。あるいはどこまでという終わりなどはなく、永遠に逃げ続けなければならないのかもしれない。この地獄を。化け物たちから。
 脚が重かった。もう腿が上がらなくなってきている。自然に歩幅が狭くなり、速度も遅くなった。しかし走らなくてはならない。走り続けなければならない。未来は命を擦り減らすかのように、力を振り絞って前に進んだ。
 隣では弘之が呼吸を荒くしながらも走っていた。右脚からは血が流れている。それでも彼は脚を動かすのをやめない。もしかすればこの極限状態で脳内麻薬が大量放出されているのかもしれない。そう、2人には痛みを感じている余裕もなかった。脚を止めることは出来ない。進まなければあるのは死だった。
 後方から巨大な蚊の大群が近付いてきている。距離は確実に縮んでいた。もっと速く走らなければ。未来は前方を見た。誰かが視界に入ってきた。男だ。男も未来たちに気付いた様子で両手をあげて振っている。あの蚊の群れに気付いていないのだろうか? そう思った次の瞬間、数匹の蚊が未来の上空を通り過ぎて男を襲った。最初の1匹が男の喉元に、その怖気の奔るような長い口吻を突き刺した。ずぶり。続いて数匹も男の体に口吻を突き立てる。ずぶりずぶり。男は何がおきたかわからないというような、そんな驚いた表情を見せて、崩れるように倒れた。おそらく死んだ。未来は改めて思う。――死にたくない。
 このまま走り続けてもいずれ体力が尽きることはわかっていた。もう走る速度もだいぶ落ちている。さっきはたまたま未来たちを越えて見知らぬ男が襲われたというだけで、それはやつらの気紛れというだけで、次は自分かもしれないと未来は不安に襲われる。そして、全ては化け物どもの気分次第なのかもしれないという事実が悔しかった。もし言語が通じるならば、気持ちを伝えられるならば、何でもするということを示しそうな自分が嫌で仕方なかった。それでも、生きたいと思った。まだ死にたくない。
 バタン、という音を耳が捉えた。とっさに音の方を見遣る。そこには鉄の扉があった。デパートの、業務用出入口。――いま誰かが入った? もしかして、という思いが彼女に湧き上がる。もし違えば確実に死が待っているだろう。だが、賭けてみる価値はあるのではないだろうか? そして彼女は決心する。「弘之、こっち!」
 そのドアはすんなりと開いた。建物の中に入るのは容易く、鍵はかかっていなかった。急いで閉めたドアに何かがぶつかる音が聴こえたが、ドアは依然として閉まっている。あの巨大な蚊たちも鉄のドアは破れないようだった。安堵で力が抜ける。もしドアが施錠されていれば生き延びてはいなかったと思うと、涙が溢れた。その場に座り込み、未来は泣いた。
 2人はまだ死んではいない。

つづきを表示
[ TB*0 | CO*0 ] page top
DATE: 2010/07/23(金)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(6)
 街が一夜にして弱肉強食の魔街へと変貌を遂げた理由を考える余裕など太田 周二にはなかった。思考する余裕(ま)も与えてもらえぬほど化け物は続々と現われた。それに対して見つからぬうちに逃げる。見つかっても逃げる。そうすることしか出来ない自分にふがいなさを感じる。自分は無力だった。10年以上連れ添った妻を守れないほどに。
 朝起きてリビングに出てみると妻の死体があった。彼は驚愕した。妻の死よりも、妻の死体に張り付いているそれらに、彼は驚愕した。
 それは巨大なヒルのようであった。赤々とした巨大な塊。ぬめぬめとした軟体をうねらせて妻――だったもの――に張り付いていた。おそらく血を吸っている。ヂュウヂュウと。おぞましい光景だった。それが数匹いた。
 巨大なヒルは体をくねらせる姿は醜悪。太田は思わず吐き気を催すほどだった。突然そのいやらしい体に変化が起こる。眼だった。ヒルの背に無数の眼が現われたのだ。ボコボコと、まるで気泡のように浮き上がってくる眼。無数の眼。それらがギョロリと太田を見つめる。彼は一瞬たじろいで数歩下がった。椅子にぶつかる。次の瞬間には叫びをあげた。そして木製の椅子を掴み、持ち上げる。振り下ろした。赤いそれに向かって。振り下ろした。軟らかい体がグチャグチャと潰れた。振り下ろした。何度も何度も。血のように赤い肉片が爆ぜた。それを返り血のように浴びる。振り下ろす振り下ろす振り下ろす。何度も何度も何度も何度も。巨大なヒルと一緒に叩き潰されて妻の死体(からだ)は見るも無惨な姿になっていた。それに気付かないほど彼は夢中になって叩いた。何度も何度も、振り下ろした。死ね死ね死ね死ね死ね!
 永い時間が経った。それは彼の感覚であって、実際にはそれほどでもなかったかもしれない。だが、その時間を彼は空虚な気持ちで過ごした。呆然と妻と化け物の死体を見下ろしながら。心は喪失(うしな)われていた。一瞬でありながら永い時間(とき)を過ごした。
 太田が自分を取り戻したのは背後の物音に気付いたときだった。彼は振り返る。そこにはイノシシがいた。両眼のない、イノシシが。あるのは穴だけだった。深い暗闇が彼を覗いていた。穴の中から。ないはずの眼で、イノシシは彼を見つめる。
 イノシシが尋常ならざるところは他にもあった。その体のびっしりと張り付いたフジツボである。まるで永い時間を海に身を曝(さら)して生きてきたかのようであった。山の生き物であるはずのイノシシが、先ほど海から這い出てきたかのような、異形。
 太田は後ずさりする。そして彼は気付く。
 無数のフジツボの殻の中から眼が覗いていた。それは太田を睨んでいるようにも見えた。ギョロリギョロリ。眼球は素早く動く。いくつかのフジツボからは触手のようなものが伸び始めた。薄いピンク色の、半透明な触手だ。ちろちろと伸びている。イノシシの異形は増す。
 太田は眼前のイノシシが興奮していることは感じ取っていた。大きな牙が垣間見える口からはだらだらと涎が滴っていた。鼻息は荒く、今にも突進してきそうな雰囲気であった。
 彼は動いた。テーブルをひっくり返してイノシシにぶつけた。そして駆ける。疾駆(はし)る。全身全霊を込めて、疾駆した。
 後方からはイノシシの迫るのがわかったが、彼は家を飛び出し走り続けた。街は様変わりしていた。まるで地獄! まるで魔界! 魑魅魍魎が跋扈し、人間は虐げられている。――いや、虐げるという表現は適切ではない。少なくとも人間に主観を置いた表現だ。化け物どもにとって人間は餌だった。糧であった。食物以外の何者でもなかった。だから化け物は人間を襲い、喰らう。それは虐げるとは違っていた。少なくとも化け物どもにとっては。純粋な弱肉強食の世界。そこで人間の生き抜く術はない。
 だが、それでも、太田は走る。疾駆(はし)る。――どうしてか?
 その解答は彼自身にもわからない。妻を喪失(うしな)った。世界は地獄に変わった。この先に一体なにがあるというのだ? わからない。しかし、彼は走る。疾駆(はし)る。本能は生きようとしていた。生きろと叫んでいた。いくら悲観に暮れても、いくら絶望の淵に立たされても、本能は生きろと彼に告げる。いや、命令する。――「生きろ」。
 どれだけ走っただろうか。息は上がっていて、呼吸がうまく出来ない。汗が眼に入り沁みた。これだけ走ったのは何年ぶりかというくらい走った。体を動かすこと自体久し振りで、彼の体は休息を求める。だが、休めるところなどあるのだろうか? この地獄に。
 足元には人の頭が転がっていて、思わず太田は飛び退いた。うわっと声をあげて、背筋がヒヤっとした。
 人頭はひとりでに動いた。
 太田は再び恐怖する。――人の首が動いた?
 よく見るとそれは頭だけではなかった。恐怖に凍りついた表情の男の頭。その口から何やら這い出ている。……ヤドカリ?
 まさしくヤドカリだった。人頭を棲み処にする魔界のヤドカリ。
 逃げた。またしても逃げた。それ以外に彼に出来ることはない。ぜえぜえ息を切らしながら走った。目には涙が浮かぶ。たすけて。だれかたすえけて。
 そのときだった。視界に生きた人間が入り込んできたのは。まともな人間。妖物ではない、自分と同じ人間。
 若い男女だった。彼らも何かから――もちろん化け物からだ――逃げ惑うように駆けている。
 太田は両手を振った。仲間だ!
 そして彼は聴く。それは彼の耳に入る。彼の聴覚はきちんとそれを捉えた。
 これは――羽音?
 通常、人の可聴域は年齢とともに狭まる。蚊の飛空音――高音域の羽音――も年齢とともに聴き取りづらくなる。しかし、それは彼の耳にもしっかりと届いた。巨大な蚊の羽音。
 彼は視界に黒い空を捉える。そしてそれが無数の蚊だということを理解する。
 気付いたときには遅かった。鋭い口吻が太田の喉元にずぶりと刺さった。ドクドクと音が聴こえた。これは吸血の際に注入される蚊の唾液であろう。そしてヂュヂュヂューーと血を吸われるのがわかった。全身の血液が彼の体感したことのない速度で移動していた。血の通るとそこは熱かった。そして彼は次第に体温を失い、冷たくなった。


つづきを表示
[ TB*0 | CO*0 ] page top
DATE: 2010/07/21(水)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(5)
 男が倒れている。アスファルトの上だ。
 男の頸(くび)で蠢くものがあった。それはノミのようであった。しかし大きい。手のひらサイズはある。
 そのノミがヂュヂュヂュヂュと男の血液(なかみ)を吸っていた。吸い上げた分だけ膨れ、ノミはさらに大きく変化していく。ヂュヂュヂュヂュヂュ。
 そのような光景を横目に高儀 未来は走っている。行くあては本人も知れない。ただ闇雲に、ひたすらに走っていた。幼馴染みである佐々木 弘之と共に。
 街は変貌を遂げていた。昨日までとはだいぶ様変わりしている。もはや平和は喪失(うしな)われた。当たり前だった日常はもう、ない。どこにも存在しない。あるには魑魅魍魎が蔓延る魔界のみ。平穏な街は地獄にも似た暗黒立ち込める魔街へと変貌を遂げていた。
 すでにかつての住人は虐げられている。新たな、魔界の住人によって。居場所はどこにもなくなっている。かつての住人はもう逃げるほか手立てはない。――だから未来と弘之は走っていた。逃げていた。異形の魔物から逃走(にげ)ていた。
 ジュワッという音が聴こえた。続く異臭。ひどく臭い。目の前では若い女性が半透明の液体に襲われていた。ドロドロしている。アメーバのようなジェル状の生物だ。洟水のようにも見える。実に気色が悪い。
 巨大なアメーバに全身を包み込まれた女性は断末魔の悲鳴をあげながら溶けていった。顔が爛(ただ)れたかのように見えた次の瞬間には眼球がどろりとその両の穴から這い出す。あっという間に肉はドロドロになり、アメーバの一部が赤く染まった。ほぼ骨だけになった女性の姿が血霞の彼方に消えていく。
 思わず未来は目を背ける。弘之も苦虫を噛み潰したような表情を見せたが、気を強く持って未来の手を引っ張った。しかし地獄は続く。
 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴンンン――…
 羽音が聴こえる。おそらく蟲の。――だが、どこから?
 空は黒く覆われていた。大量の蟲。それは馴染みのある生き物。その鋭い細長い口吻はおぞましい。ただサイズだけは規格外。体長1メートルはあろうかという、蚊。
 何百という巨大な蚊が空から飛来してきていた。それは明らかに未来たちに近付いている。あるいは、未来たちを目標に定めている。2人は狙われていた。
 次々と現われる魔界の怪蟲に未来と弘之が感じることが出来るのは恐怖のみ!――2人は血の気が引いてその顔は蒼白! 出来る行動は逃げるしかない!
 自然と速度が上げながら2人は走る。疾駆(はし)る。どこに向かって? わからない。助かる希望(のぞみ)は? わからない。だが走るしかなかった。逃げるしかなかった。そうしなければ何もかもが終わるのだ。その生命に終止符が打たれることになる。だから2人は走った。一心不乱に疾駆(はし)った。
 ただ助かることを信じて。ただ生き延びることを目的に。


つづきを表示
[ TB*0 | CO*0 ] page top
DATE: 2010/07/19(月)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(4)
 2人が全力で逃げ込んだのは弘之の家だった。そもそも彼が近所を歩いているところに未来が走って現われたのである。佐々木家は地震の被害をほとんど受けていなかったので、この逃避先は当然のものだろう。
 玄関のドアをきっちりと施錠して弘之は未来とともにキッチンに進んだ。2人とも全力で走ったのでクタクタであったし、何より喉が渇いていた。冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターをゴクゴクと喉を鳴らして一気飲みする。
「あれはなんなんだ?」
 誰に問うでもなく弘之が言った。
 それに関して未来は何も答えるようなことはせず、ただ沈黙する。
 家の中は静かだった。
 弘之は辺りに漂う空気の違和を感じ取った。
 どうも静か過ぎるのだ。
 彼はゆっくりとキッチンを抜けて両親を呼ぶ。――反応はない。
 ミシ、と軋むような音が2階から聴こえた。2階にいるのだろうか? 彼は階段を昇った。ひとりになりたくなかった未来もそれについていく。
 残り数段となったところで弘之は足を止めた。何か、臭う。生臭いような臭気が漂っている。これは一体……?
 そのとき視界にはツーと流れてくる液体が見えた。階段を伝って、自分たちに近付いてくるそれ。それは、赤く独特の臭気を放っていた。それは、血だった。
 うわっ。そう声をあげて思わず数歩退いた弘之はそれが一体誰の血なのかということを考えるまでに数秒かかった。そして数秒後には、慌てて階段を駆け上る。未来もそれに同様に急いだ。
 そこは小さな地獄だった。赤く染められた、血腥(ちなまぐさ)い空間。一面に広がっている血溜まりの中に腕が落ちていた。見覚えのある、手。
 あまりの惨状に未来は卒倒しそうになったが、どうにか踏み止まる。両脚に力を込めて、しっかりと意識を保った。あれはたぶん、おばさんの腕だろうと彼女は思う。
 そんな血に彩られた悪夢の中で弘之を襲ったのは母を喪失(うしな)った悲しみよりも衝撃だった。そして深い恐怖。この先どうすればいいのか――、一瞬で脳内がパニックになる。混乱。血臭が鼻腔を突く。わけがわからない。おれは。彼は思う。おれはおれは。感情が処理できるキャパシティをオーバして涙が溢れそうになる。おれは――…
 だらり、と天井から降ってくるものがあった。
 それを未来は視界に捉えた。なんだろう? そう思う間もなく、ジュッという音が聞こえた。そして弘之の絶叫。
「大丈夫!?」
 弘之の右脚が溶けていた。太腿の筋繊維が曝け出され、嘔吐を引き起こしかねない悪臭が鼻腔を突いた。肉が溶かされていた。――しかし一体なにに?
 叫び、うずくまりながら弘之は自身に何が起きたのかを把握しようとする。激しい痛みに顔を歪め、あたりを見回す。天井に、何かがいる。
 醜悪な姿だった。表面がぬめぬめとしていた。そして体は恐ろしく長い。口は大きく開いていて四方八方に牙のようなものが向いている。
 巨大なムカデが天井を這っていた。
 どろり。体長何十メートルもありそうな大ムカデのグロテスクな口元から液が滴(したた)った。ジュッ。音をあげて床に落ちる。溶解液だ。
「未来、逃げろ!」弘之はそう叫んで未来を押しやった。「早く!」
 体長数十メートル。幅は60センチほどある巨大な体。「百足」というにはあまりに体が長すぎる。その脚は百本では到底足りないだろう。その化け物が素早い動きで2人を追った。ぞぞぞぞ、と無限とも思われる脚が動いた。ぞぞぞぞぞ。
 再び全力で駆ける2人は佐々木家を飛び出した。空は曇天に変わっている。世界が一転して暗黒に包まれたかのようである。道路には人が倒れていた。その体の肉は食い破られており、内臓が引きずり出されていた。自分たちは誤って魔界に踏み入れてしまったのだろうか? そんな思いが2人の脳裏を過ぎった。


つづきを表示
[ TB*0 | CO*2 ] page top
DATE: 2010/07/17(土)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(3)
 弘之は自分の鼓動が急激に高まったのを感じた。ドクドクドク。全身に送り出される血液に、まるで恐怖が毒のように混ざっているみたいに全身が恐怖で強張る。目の前の男の胸の穴からドパっと血が溢れた。
「なんだ……?」
 男は自分に何が起きたのかわからないでいるようだった。胸を押さえた手が血にまみれているのを見てショックを受けているらしく、顔面が蒼白に変わった。
 ヒュッ。
 何かが風を切る音。
 パスン。
 小さな、衝撃音……?
 気付けば男の胸の開いた穴が増えている。
 ドパドパっと血が漏れた。
 男は呻きながらよろけてアスファルトの地面に倒れ込む。
 その男にいくつもの素早い影が飛びかかっていった。
 ――魚のようである。
 ミイラのように渇いた皮膚に、ゾンビにも似たグロテスクな外観。鋭い鼻に似た鑓状の角が血に濡れて、てらてらと光っていた。
 宙を浮く怪魚はギザギザとした鋭い歯で男の肉を貪っている。ぐちゃぐちゃ、くちゃくちゃと肉を啄(つい)ばむ音が聞こえた。
 ヒュンッ。
 飛ぶ矢の速さで怪魚は肩をかすめていった。わずかながら肉が抉られ、血が零れる。
「ンッッ――くそ。未来。走れ!」
 弘之は手を引っ張ったが未来は動かなかった。立ち上がりすらしない。完全に腰が抜けていたのだ。
「おい! 逃げなきゃやばいって! 未来ッッ!!」
 泣いている未来を無理やり立たせようとする。彼女の体重が弘之に圧し掛かった。もう背負ってでもして逃げるしかない――彼はそう覚悟した。早く逃げなくては自分たちも先ほどの男の二の舞だ。
 未来の手にぬるりとした生ぬるいものが触れた。弘之の血だ。彼女は弘之の傷を見て自分も頑張らなくてはいけないと気付く。両脚に力が籠もった。まだ走れる。「……弘之、行こう」
 彼は頷き、全力で走り出した。


つづきを表示
[ TB*0 | CO*0 ] page top
DATE: 2010/07/15(木)   CATEGORY: MUKURO外伝
MUKURO外伝(2)
 両親の寝室から飛び出すように駆けて、高儀 未来はトイレに隠れた。ドアを閉めて、施錠する。
 さっき穴から飛び出してきたアレは何なのか、彼女にはまったくわからなかった。ちらりと見た限り、形状は魚に似ていたがとてもグロテスクであった。化け物染みた外観。カジキマグロのように、突出した鑓(やり)のようなものが付いていた。角なのだろうか。あんな魚が本当にいるものなのかと疑ってしまいたくなる。――そして、その魚は宙を泳いでいた。つまりは自然と宙に浮いていたのだ。
 両脚の震えが止まらなかった。正確には、全身が震えていた。しかし彼女は自覚していないだろう。それほどまでに恐怖で何も考えられなくなっていた。思考が働かない。何も感じない。
 ドス、という音が鼓膜に届いた。なんだろうと未来は顔を上げると、木製のドアから鑓のようなものが突き出ていた。あの怪魚の鋭い突起だ。
 気付けば叫び声をあげていた。ドアを開けようとして何度もドアノブを回したが動かない。ガチャガチャガチャガチャ。どうして? 早くしないと殺されてしまう! 未来の手のひらが汗で滑る。そこで彼女はドアが施錠していたままだということに気が付いた。慌てて鍵を開け、トイレから飛び出す。脇目も振らずに全力疾走した。振り返ることもしないので、背後からあの怪魚が追ってきているのかどうかもわからない。とにかく脚を止めたくはなかった。矢のように飛んでくる怪魚のイメージが頭から離れない。逃げなきゃ、逃げなきゃ……!!
 玄関を乱暴に開けて、外に出る。地震の影響か、周りの家も無事ではなかった。崩れかけた建物がいくつか見える。だが彼女は今それどころではない。止まることなく走り続けた。
「未来!」
 走っている途中で自分を呼ぶ声がした。そちらを見遣ると未来の幼馴染みである佐々木 弘之の姿がそこにあった。彼は必死の形相で駆け抜けていく未来に何事かと目を丸くしていた。「一体どうしたんだよ」
 確かに事態は只事ではなかった。震度7近いかもしれない激震のあとなのだ。しかし、それでも未来の行動に弘之は驚いていた。まるで化け物か何かから逃れようとしているようだ。
「お前のとこ、大丈夫か?」
 未来はいま自分が走ってきた道を確認した。何も追ってきてはいない。それがわかると安堵のあまり力が抜けて、その場に座り込んでしまった。息があがって声も出ない。
「お、おい。大丈夫なのかよ」
 弘之が心配そうに未来に駆け寄り、彼女の肩に手をかけた。「どうした?」
「……あの、魚が………」
 ゼエゼエとした荒い呼吸の合間に、やっとのことでそれだけを口に出した。
「は? さかな?」
 その言葉の意図がわからない弘之は困惑した表情で周りを見た。未来の様子に近くにいた人たちが何人か近付いてきていた。
「未来、おじさんとおばさんは?」
 弘之の言葉に、未来は初めて母の死を実感した。瓦礫に押し潰され、頭から血を流していた母。ぴくりとも動いていなかった……。
「えっ、おい……」
 未来の頬にぼろぼろと大粒の涙が伝っていく。大声で泣きたかった。が、それは小さな嗚咽に必死に留めた。下唇を力強く噛み、押し殺すように彼女は泣いた。
 その姿を見て、弘之は未来の両親がもう生きてはいないことを悟った。それでこの取り乱しようなのか――自分の家族は全員無事で、人の死があまりに非現実的に感じていた。しかし、地震は容赦なく命を奪っていく。災害の悲惨さを彼は急に理解した。今は人の死が、一気に身近に感じられる。
「大丈夫かい?」
 2人のことを見ていた男が声をかけてきた。弘之はなんて言ったらいいのかわからず、ただ縋るような目つきで男を見る。男は2人に何かあったのだと気付いたのか、表情に深刻さが増した。「とりあえずこっ――…」
 男の言葉が途中で途切れたことを不思議に思って弘之は男を見つめた。
 よく見ると、男の胸に拳より一回り小さい程度の穴が開いていたことに気付いた。


つづきを表示
[ TB*0 | CO*0 ] page top
Copyright © みやび萬紅堂。. all rights reserved. ページの先頭へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。