みやび萬紅堂。
いらっしゃいませ。コメントはお気軽に。
DATE: 2009/06/29(月)   CATEGORY: 短篇小説
シュヴァルダンの獣(4)
 彼は侵入者の気配を敏感に嗅ぎ取っていた。
 山のざわめきが大きくなっている。それは彼から隠れていた動物たちが、ついに自分の棲み処を諦め、山から逃げようとしているにほかならなかった。


 それの到来は、夜に覆う闇のように静かで、圧倒的なものだった。


 ***


 4日後、町に到着したフランチェスコたちは、急いで助けを求めた。道中に襲われた激しい疲弊で、思った以上に時間がかかってしまっていた。
 町長は男たちに命じて、すぐさま隊を編成した。その中心となったのは町の自警団のメンバーだ。そして2日後には野獣討伐隊が村に向けて出発した。
 町で馬を借りられたこともあって、討伐隊一行はフランチェスコたちが来たときの半分以下の時間で村に辿り着くことが出来た。しかし彼らを出迎えたのは、応援を喜ぶ村民の笑顔ではなく、どんよりと暗く重い、何とも言えぬ雰囲気だった。何かあったのだろうかとフランチェスコは急ぎアレッシアの待つ家へと走った。そして家に入ると、無事に帰ってきた夫に対する安堵を浮かべたアレッシアがフランチェスコに抱きついた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 そして妻の口づけをすると、村の様子について尋ねた。
「村の女性がいなくなったの」それが妻の第一声だった。「ベアータもキッカもクラリッサも、みんないなくなってしまったわ」
「どういうことなんだ」
 状況が呑み込めないフランチェスコは詳しい説明を求めた。
「わからない。急にいなくなってしまったの。夜になって朝が明けるといなくなってしまっていたのよ」
 その後もアレッシアの説明を聞くと、どうやら村の女が次々と謎の失踪を遂げていることがわかった。初めはカークの妻ベアータだった。カークがフランチェスコたちを町へ向かったので、いとこのルドヴィゴの家に泊っていた。しかしある朝、なかなか姿を現さないベアータにルドヴィゴの妻であるオッターヴィアが様子を見に行くと、彼女が寝ていた部屋はもぬけの殻で、それからいくら探してもベアータの姿は見つからなかった。その翌々日にオッターヴィアも消えた。もしや奴に攫われたのかと思ったルドヴィゴが声を嗄らすまで2人を捜したが、結局見つかりはしなかった。その翌日にはキッカが消えた。そしてクラリッサも。村の女が次々といなくなっていき、その異常事態を察した村民たちはうちの妻は、あるいは娘はと家に引き籠り、我が家の女が連れ去られないように、決死の守りに身を注いでいた。おかげでもともと引き籠りがちだった村の者が、外からまったく姿を消し、この陰惨な雰囲気すら漂わせている、生気のない村へと変貌してしまった。
 フランチェスコは奴の姿を思い浮かべ、憤りを感じ、そして他の者と同じく恐怖していた。アレッシアだけは守らねばならない。そのためには、再び奴と対峙する覚悟すら出来ていた。奴の恐るべき強さがフラッシュバックされ、フランチェスコの全身から冷や汗が噴き出す。しかし全身の体毛を起こすほどの闘志をその心に宿していた。

 その夜、ルドヴィゴが姿を消した。妻といとこを奪い取られた奴への復讐心を燃やし、討伐隊への参加に意欲を発揮していたルドヴィゴだったが、一行が討伐に発とうとしていたその当日に、彼の姿が見当たらないことが発覚した。
 あれだけ奴に目に物を見せてやろうとしていた彼が、待ち遠しいほど待っただろう討伐の時に姿を見せないなど、ルドヴィゴの身に何かあったのだと村中が思った。そんな中フランチェスコは、もしや待ちきれなくなってひとりで山に出たのでは? と想像するも恐ろしいことを思いついていた。もしそれが本当だとしたら、ルドヴィゴの命はない。
 町の者25名と村の者15名の計40名になる討伐隊が編成された。それがさらに二班に分かれ、奴の捜索に当たることになった。フランチェスコは片班のリーダーに決まった。
 山はいつも以上に静まり返っていた。それは嵐の前の静けさに似た、不気味な沈黙であった。フランチェスコは息を呑み、仲間を引き連れ山の奥へと足を踏み入れる。どこにも奴はいないようにも思えたし、今まさに奴に狙われているような気もした。その場にいた全員がそう思っていたに違いない。みなの顔は恐怖に引き攣っていた。

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DATE: 2009/06/27(土)   CATEGORY: 短篇小説
シュヴァルダンの獣(3)
「……エットレ」
 ダリオが名を呟くと、エットレの躰がぼとりと地に落ちた。
 ドッドッドッ、と心臓が高速で脈打っている。息苦しい。呼吸が出来ているのかすら理解出来ない。
「うおおおおおおお!!」村一の蛮勇を誇るジョアッキーノが、護身用に携えていた槍を片手に奴に突撃していく。
「やめ――…」
 ジョアッキーノが投擲(とうてき)の姿勢から槍を飛ばそうとしたが、槍がその手を離れる前に、俊敏な動きで懐(ふところ)に潜り込まれ、奴の太く荒々しい腕でのどを掴まれた。
「ぐ……あ……」
 呼吸が出来ないだけではなく、このままだとのどごと潰されてしまう。ジョアッキーノの意識がふいに遠くなっていく。
「うわああああああ!!」フランチェスコが近くにあったナイフを拾い上げ、それを振りかざし気味に走り寄っていく。「ジョアッキーノを放しやがれええ!!」
 偶然か、その切っ先は奴の腕にのめり込んだ。遅れて血が溢れだす。
「グアアアアアアア…!!」
 奴は野太い叫びをあげた。しかしナイフが刺さったことはフランチェスコたちにとって幸運とは言い難かった。実際奴はそれほど大きなダメージを受けておらず、ただ刺激して、興奮させてしまったに過ぎない。
 奴はジョアッキーノの巨体を軽々と投げ飛ばし、フランチェスコに詰め寄った。ジョアッキーノは小さく呻き声をあげて、そのまま動かなくなった。
 焚き火に照らされ、奴の姿がよく見えるようになる。これほど近くで、それもじっくり奴を見るのは初めてだった。
 2メートルはあるだろう巨体に、鬣(たてがみ)のような黒髪、野性味溢れる風貌は野獣と称されるに相応しい。隆々と付いた筋肉の体躯は、人を易々と千切り捨ててしまいそうだった。まさに怪物。これぞ魔獣だった。
 フランチェスコは心底この隊に志願したことを後悔していた。これは人間が相手を出来る存在ではない。何十、もしかしたら何百の男が束になってかかっても、まとめて引き裂かれそうですらあった。敵わない。理性を超えて本能的に直感がそう告げた。
「……ダリオ、逃げろ」
「え?」
「逃げろ!!」
 フランチェスコは奴の丸太のような腕に噛みついた。もはや何も通用しないだろうことは承知のうえで、せめてダリオたちだけでも逃がそうと思ったのだ。
 フランチェスコの必死の攻撃も、奴にとっては子犬に噛みつかれたも等しかった。薄汚れた貌(かお)に、にやりと笑みを浮かべ、フランチェスコを弾き飛ばす。そして弾丸の勢いで、逃げようとしたダリオに飛びかかった。
 ゴキリ、と鈍い音が聞こえた。ダリオの首がおかしな方向に曲がっている。それを見たフランクはヒッと悲鳴をあげた。
 しかしダリオは死の間際に、ジョアッキーノが投げかけた槍の先を飛びかかってきた奴に向けていた。それは奴の肩に深々と突き刺さり、さすがの奴も叫びをあげた。今度はそれなりの痛みが奴を襲ったらしかった。
 満身創痍のフランチェスコは、残ったフランク、イゴール、カーク、リノ、ロターリオを見た。誰もが恐怖に身を凍らせている。このままでは全滅だ。どうにも出来ないのか…。
 奴は渾身の一撃で、イゴールの首から上を吹き飛ばした。
「みんな……逃げろ……」
 呻きと聞き間違えるような、その声は、誰の耳にも入らなかった。ただ奴ひとりだけが、この場で恐怖以外の感情を持っている。
「……みんな……」
 そのとき、急に山がざわめき出した。次には、何十何百の鳥たちが空に羽ばたいていくのが聞こえた。何事だろうか。何か山で異変が起こっている。フランチェスコは這うようにして、仲間のもとへと向かおうとしたが、その躰にはほとんど力が入らなかった。
 奴は、山の異変を察知したようにして、闇夜にひそむ何かを見つめていた。
 そして思い付いたかのように方向転換をし、闇の中へと消え去っていった。
「助かった…のか……?」
 フランチェスコが朦朧とした意識の中で、安堵とともに呟いた。

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DATE: 2009/06/25(木)   CATEGORY: 短篇小説
シュヴァルダンの獣(2)
 どれくらい歩いただろうか。朝に発って、もう夕日が見えてきていた。山間のこの道は夕日が沈み始めると一気に暗くなる。そろそろどこか適当なところを見つけて夜に備えなくてはいけないな、とフランチェスコは思った。
「ダリオ。もう暗くなる。今晩休むところを決めよう」
「ああ、そうだな。みんなキャンプの準備だ」
 火を焚いた。動物は火を恐れて近付きはしなくなる。――しかし奴は?
 フランチェスコは奴が火など恐れないような気がした。むしろこちらの居場所を教えて、自らを危険に晒しているのではないだろうか。
 食事を終え、夜の静けさが響き渡ると、一同全員がひそかに息を呑んだ。
「なあ、誰か見張り番をした方がよくないか」
「確かに。じゃあ、エットレとフランク。今晩は2人で交代に見張りをしていてくれないか」
 ダリオが2人を見遣る。
「わかった。フランク、俺が先にやるから寝てろよ」
「ああ、2時間したら起こしてくれ」
「はいよ」
 再びしじまが訪れ、フランチェスコは目を瞑った。
 町まで、あと何日で着くだろうか。急げばあさってには着くかもしれない。もし馬を借りられれば、1週間もしないうちに帰ることが出来る。
 急に、妻アレッシアに会いたくなった。自分ではあんなことを言っておいて、結局心細いのは俺の方か。――フランチェスコは小さく苦笑した。

 シン、と山が静まり返るのを感じた。

 先ほどまでも静寂が辺りを包んではいたが、それでも山に動物の気配を感じていた。聞こえはしないが、どこか息衝いているのを感じ取っていたのだ。
 それが急に消えた。
 ――奴が現れたのか。
 フランチェスコは祈りを捧げた。また妻に会いたい。それまではどうか無事でいさせてくれ。
「気付いたか?」ダリオがひっそりと声をかけてきた。
「ああ、急に静かになったな」
「…嫌な予感がする」
「エットレ? どうだ、何か見えるか?」
 いち早く異変に気付いて闇を見つめていたエットレだが、辺りに何の気配も感じられなかった。
「何も。恐ろしいくらい静かだ」
「…嵐の前の静けさ、か」
 ガサ。何かが動く音がした。
 一同の緊張が一瞬で限界まで高まる。フランチェスコはうまく息すら出来ていない。
 どこからか獣臭すら漂ってくるようだった。
「…どこだ?」
 エットレが一歩踏み出そうとした瞬間――、闇夜の中から巨大な影が、疾風のような速さでその場を駆け抜けた。
「エットレ――!!」
 フランチェスコがその名を呼び終えるより速く、それは再び闇夜の中へと溶け込んでしまった。
「奴だ。ダリオ、奴だよ」
「ああ、わかってる…」
「エットレが攫われたぞ!」
「わかってる。俺も見たよ」
 ダリオの見たというのは正確ではなかった。実際には速過ぎて何も見えてはいなかった。
 その場にいた者は硬直して動けなかった。立ち込める殺気に似た獣臭に、一同は一寸の身動きすら取れない。金縛りにでもあっているようだった。まるで魔物と対峙しているかのようだ。
「奴は……魔獣だ」フランクが呟いた。
「静かにしろ!」
 ダリオはパニックに陥っているフランクを叱咤した。おそらくこの場にいる全員が冷静さを欠いているのだろう。ダリオ自身もそのせいか、つい大声になってしまっていた。
「――ダリオ」
 静寂にすら掻き消されてしまいそうなか細い声で、フランチェスコがダリオを呼んだ。
「どうした?」
「……奴だ」
 ダリオが気付いてフランチェスコの視線を辿ると、嫌な汗が体中から噴き出すのを感じた。
 肩から胴にかけて引き裂かれたエットレが、闇の中にうっすらと浮かんでいた。


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DATE: 2009/06/23(火)   CATEGORY: 短篇小説
シュヴァルダンの獣(1)
 辺りは異様な雰囲気に包まれていた。立ち込める殺気に似た獣臭に、兎や栗鼠などの小動物はもちろん、勇猛な狼すら息を潜め、そこに近寄ろうとはしなかった。
 木々が揺れる音がした。それは凶暴性を押し籠めた存在そのものだった。ありとあらゆるものがその場を静かに見守った。どうかこちらに気付きませんようにと――。


 ***


 野獣討伐から帰ったフランチェスコは、妻アレッシアが淹れたミケーレ茶を啜った。それはまだ熱く、猫舌のフランチェスコは顔を顰めてカップを置いた。
「今回も駄目だったの?」
「ああ、全然さ」
 村民が立ちあがって野獣討伐に繰り出したのはこれで4度目だった。そのどれも目立った成果はない。一度は奴を見つけて大勢で追い詰めたのだが、それも奴は易々と突破した。そのときマッシモが右肩に大怪我を負い、天職ともいえる大工仕事が出来なくなった。彼は村では随一の若手大工で、先日妻を娶ったばかりだった。
 野獣は、存在そのものが脅威だ。奴に慄(おのの)いて山から獣が下りてくる。狼などが人里までやってきては、子供たちを避難させなければいけない。以前、猪に襲われそうになったマルチェロを守ろうとしてロベルトが大怪我を負った。興奮した猪の突進が、ロベルトの腹部を抉った。その大きな牙は内臓まで傷付けていた。生涯現役を自ら謳っていたロベルトだが、もう以前のようには動けず、彼の樵(きこり)生命は終わっただろう。村で最年長の樵で、一番の働き者だった。孫のマルチェロは、祖父の怪我は自分のせいだともう外に出ようとはしなくなった。それまで山にいた獣は、あの“野獣”の重圧によって、非常に苛立っていた。見かけたら刺激せず、ゆっくり逃げる。今ではどの子供もその約束(ルール)を肝に銘じている。親もかつてのように外には出そうとしない。もはや村全体が重い空気を漂わせていた。
「奴のせいで迂闊に山にも入れん。山仕事をしているとこにとっては死活問題だよ。ひとりで山に入るなんて自殺行為だからな。大勢で入ったって、仕事にはならないだろう。辺りを警戒しながら仕事なんて出来るか」
「そうね。マーリオもみんなが止めたのに、無視して山に入って、あんなことになってしまったものね…」
 樵のマーリオは、野獣に襲われ、死んだ。
 村のみんなの制止を振り切って山に入ったが、そのまま夜になっても帰って来ず、翌日樵仲間数人が山を捜索したところ、躰を引き裂かれるようにして死んでいるのが見つかった。
「明日、今後の対策を練ろうってことになった。もう村民の手では負えないのかもしれないな。もしかしたら町まで行って助けを求めることになるだろう。そのときは俺も行こうと思う」
 ここは大きい村だが町は遠かった。山間にあり、外との交流は滅多にない。
しかしこのままではいずれ村が全滅してしまうおそれがあった。応援を頼むなら早いに越したことはない。急いで行っても数日はかかるから、実際に人手を連れてくるのは一週間は先になるだろう。
「でも…」
「これは村全体の危機なんだ。手を貸さないわけにはいかないだろう。俺に出来ることがあったら、何でもするしかない」
 数日はかかるということは、道中で夜を越さなければならないということだ。野獣が棲み処としていると思われる山に目星はついているが、全く動かないというわけでもないだろう。食糧にありつくため、獲物を探して棲み処から離れることもあるかもしれない。奴の棲む辺りにはもう動物がほとんどいないだろう。ほとんどが逃げるか巧妙に隠れてしまっているはずだった。
 フランチェスコはその危険を覚悟で、町への遣いを志願するつもりだった。

 翌日、村中の大人が集まった。男が中心となって今後の対策について話し合いが行われた。そして、フランチェスコの予想通り、町に応援要請をすることが決まった。彼は迷わずそれに志願した。
 他にも大勢の男たちが志願に名乗りをあげた。その中から10人が選ばれ、町への遣いとして送り出されることとなった。それにはフランチェスコも含まれた。
 女たちはたちまち10人の食糧を準備した。軽装出来て、なおかつ腹持ちのいいものだ。女たちに手伝われながらも男たちは支度を済ませると、村民全員に別れを告げた。
「すぐ帰るよ。ミケーレ茶でも用意しておいてくれ」
 フランチェスコが笑って言った。
 旅立とうとする夫の姿を前にして、アレッシアは涙ぐんだ。
「おいおい、どうした」
「ちゃんと帰ってきてね」
 フランチェスコが妻を抱きしめる。
「今まで何度も町へは行ったことあるだろう? これまでと同じさ。大丈夫だって」
 フランチェスコは妻にくちづけすると、笑顔で村を発った。

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DATE: 2009/06/21(日)   CATEGORY: 短篇小説
コーヒーにまつわる3つの短篇 3/③
 先輩は人気ものだった。顔はよく、スポーツもこなせて、勉強もできた。いわゆる万能型で、学年どころが全校生徒の注目の的だった。
 奈美は、他の女子同様にそんな先輩に釘付けだった。初めて見たときにはもう一目惚れで、そのあとに彼の噂を聞くたびにますます惹かれ、恋焦がれていくようになっていた。
 そんな先輩とはたまに図書館で会う。社交的な性格のせいもあってか、同じ学校だと気付いた彼の方から奈美に話しかけていた。それから奈美は、先輩と仲良くなり、よく話をするようになった。
 放課後、いつもの図書館に先輩はいた。この日の奈美はいつもとは違っていて、一種の決意めいた表情をしていた。実は、今日彼女は、先輩に告白をするつもりなのだ。
 先輩が、自分のことを好きなのだという噂が流れていることは前々から知っていた。そのせいもあってか、この日、奈美は彼に告白をする気でいた。そう決心を固めていた。
もしかすると一緒に仲良くしているところを見られたことから広まった根拠のない噂なのかもしれない。それでも彼女は、先輩に自分の気持ちを伝えずにはいられなかった。
 勇気を振り絞って図書館で本を読む先輩に声をかけた。
「ん? どうしたんだ?」
 先輩は人が良さそうな声で尋ねた。
「あの、そのー、…いや、なんでもないです!」
 寸前になって奈美は言えなくなってしまった。
 あれほど覚悟を決めたのに…、美奈は心中で叫んだ。
「…え? なに、どうしたの? 何か言いにくいこと? もしかした悩みごととか?」
 そんな美奈の気持ちになどまったく気付かないようで、彼は心配そうな声をあげた。
「まあ、悩みっていうか。その、実はー…わたし先輩のことが好きなんです」
 うわ、言ってしまった。奈美の心では期待と後悔が入り交じる。
 彼は、突然の後輩からの告白で、つい戸惑ってしまっているという感じだった。
「あの、そのな…」
「はい」
「俺、お前のこと好きだし、話したりすると楽しいとも思う」
 彼女の心臓は高鳴った。
「…それでも、ごめん。どうしても後輩としか見れてないんだ」
 高まった期待が打ち砕かれ、彼女はがっくりと肩を落とした。
 それを見た彼は何かを言おうとするが、
「そうですか。でも、いいんです! その、ただ伝えたかっただけだから」
 それだけ言うと奈美は駆け出して、図書館を飛び出した。
 どうにか先輩の前でだけは泣きたくはなかった。先輩が自分のことを好きだという噂も半分信じていただけあって、彼の返答はつらかった。
 しばらく走って、彼女は足を止めた。気付けば息があがるほど全力で走っていた。その瞳からは大粒の涙がぼろぼろと流れていた。
 えぐっえぐっ、彼女は好きなだけ泣いた。人通りが少ないアスファルトの上で、彼女は涙を流し続けた。
 ようやく泣きやむ頃になると、彼女に近付く人の気配があった。
 美奈はそれを感じ、思わず目を向けた。
 そこには大柄の男が立っていた。髪は短髪で、重力に逆らうよう、ツンツンに立たせている。
「あのさ、コーヒー飲める?」
 唐突な見知らぬ男の質問に、美奈は戸惑ったが、数秒の間を空けて「あ、はい」と答えた。
「そっか。これ飲まないかな?」
 そう言って男が差し出したのは、一本の間コーヒーだった。
「さっきそこの自販で買ったらさ、間違えて出てきたんだよね」
 彼が笑って指さす先には、たしかに自動販売機が2台ならんでいた。その隣には白いバイクが停めてあった。
「どう? 代わりに飲んでくれないかな?」
 男の困った顔を見ていたら、美奈はつい了解をしてしまった。
「ありがとう。助かるよ」
 男が差し出した缶コーヒーを、彼女は受け取った。
 缶は熱を帯びていて、少し熱かった。
「俺、猫舌でさ。熱いの苦手なんだよね」
 男は苦笑する。
 彼は奈美の隣に腰を下ろした。そして缶コーヒーを持っていたのとは別な、もう一方の手に持ったオレンジジュースの缶のプルトップを起こす。
「どうかした? 目、赤いよ?」
 つい忘れていた事実を指摘され、彼女は目だけではなく顔中が赤くなるのを感じた。
「この一本を飲み終えるまでの間なら話を聞くよ」
 そう言って男はオレンジジュースの缶を口元に運び、傾けた。
 奈美も缶コーヒーを傾ける。そうして温かいものが彼女の体を巡った。


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DATE: 2009/06/19(金)   CATEGORY: 短篇小説
コーヒーにまつわる3つの短篇 2/③
 ガコン。自動販売機が吐き出した缶コーヒーを手に取って、そこを去ろうとしたら俺が押したボタンが赤く点(とも)っていることに気がついた。
「最後の1本だったか」
 ラッキーだったな。そう思っているとこちら近付いてくる人影を感じた。きっとこの自動販売機に用があるのだろうと俺は再び去ろうとする。
「あっれー? 出てこない!」
 その声につい振り返ってしまった。
 どうやらボタンを押したはずの商品が出てこなかったらしい。
「あ…、売り切れだった」
 彼女の視線の先に俺の視線も合わせると、そこは俺が最後の1本を買った缶コーヒーのボタンだった。
「あー、残念」
 彼女は缶コーヒーを諦め、代わりに何を飲むか悩んでいるようだった。
「あの…」
 俺はガラにもなく声をかけた。
「…?」彼女の頭上には間違いなくエクスクラメーションマークが浮かんでいる。「なんですか?」
 俺はどうしようかともう一度悩んだ。しかしもう声をかけてしまったのだし、と意を決した。
「よかったらこれあげますよ」
 彼女が俺の持つ缶コーヒーを見つめた。
「これ飲みたかったんですよね? 俺が最後の1本を買っちゃったみたいで」
 当たり前の反応だと思うが、彼女は遠慮して俺の親切を断った。
「いいんです。そんなに飲みたかったわけでもないし」
 そう言って、多少強引に彼女に缶コーヒーを渡した。
 彼女は困ったような顔をしていたが、俺は構わずその場を去った。

 歩いていると大学の後輩に会った。今から借りてきた映画をみんなで観るのだという。その上映会に俺も誘われたが、後輩の集まる場に、俺のような先輩がいたら周りも気を遣うだろうと思って断った。
「吉川先輩もいますよ」
 吉川とは俺と同期で、何を考えているのかわからないマイペースな男だ。
 俺はそうかとだけ言って、後輩と一緒に歩いた。後輩は両手にビニール袋を提げていて、中身は飲み物のようなのだがあまりに重そうだったので片方だけ持ってやった。

 後輩の住むアパートに到着した。俺は後輩の部屋まで飲み物を運ぶ。特に用もないので、もう帰ろうとしていたところだった。
「えっ? 吉川先輩帰っちゃった?」
 その声につい足を止めた。
「仕方がないなぁ。いつも自由なんだから」
 たしかに。吉川の自由さといったら、他に類を見ない。
「せっかく吉川先輩の分のコーヒーも買ってきたのに。この中でコーヒー飲むのあの人しかいないんだよなぁ」
 後輩は俺を見た。
「あ、もしかして先輩ってコーヒー飲みます?」
「ああ、まあ普通程度には飲むかな」
「だったらこれ貰っちゃってください。俺に付き合ってくれたお礼も兼ねて」
 渡されたのは自動販売機で俺が買ったのと同じ缶コーヒーだった。
「じゃあ、もらっとくよ」
 こういう偶然もあるもんだ。俺はつい笑ってしまった。

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DATE: 2009/06/17(水)   CATEGORY: 短篇小説
コーヒーにまつわる3つの短篇 1/③
 太陽は俺を殺そうとしているのか。外は今年の最高気温なんじゃないかと思ってしまうほどの暑さだった。あまりの暑さに俺は目に留まったカフェに逃げ込んだ。
 アイスコーヒーを頼んで窓際の席に腰を降ろした。店内は冷房が効いていて涼しく、まるで天国だ。外を眺めると、たくさんの人が歩いている。この猛暑酷暑の中、大変だなぁ。自分が涼しいところにいるということに、少しだけ優越感に浸らせてもらった。ここにはカフェテラスもあるようだが、この暑さの中に自ら身を投じるなどその神経が理解できない。それでも外の席にも何人か座っている。やはり理解できない。
 アイスコーヒーがきて、さっそく喉に通した。冷たい液体が、体中を巡るのを感じる。ああ、生き返る。
 窓ガラスを隔てて女の子と目が合った。カフェテラスに座っている女の子だ。歳は俺より5、6は下というところか。若い、かわいい女の子だった。
 そんなところにいて日焼けをしないのだろうか。近頃の女の子はそういうのを嫌うと思うのだが。最近は、ほどよく小麦色に焼けた子をあまり見ない。紫外線を嫌い、日焼け止めを使っているような白い子か、ただひたすらと自分を黒くするような黒すぎる子かに分かれる気がする。まあ、どうでもいい。
 コーヒーをもうひとくち飲み、読みかけの文庫を取り出しページを開いた。

 寒い。冷房の効きすぎだ。店内に入ったばかりのときはいいが、こうやってアイスコーヒーみたいな冷たいものを飲むとその相乗効果は凄まじいもので、寒さすら感じる。
 外を見遣った。こうなるとカフェテラスの席が羨ましい。今なら少しだけ彼らの気持ちもわかった。なるほど、涼しい店内で冷たいものは結果として相性がよくないようだ。
 見てみると、目が合った女の子はまだそこにいた。ひとりで何をするわけでもなく、と通りゆく人々を眺めている。その横顔は少し寂しげなもののように感じられた。
 もう文庫の残りもあとわずかとなっていた。途中まで読んでいたとしても、ここに来て結構な時間が経ったはずだ。少なくともそのときから彼女はそこにいた。一体なにしているのだろう? ひとりでコーヒーを嗜むにしてはいささか違和感を感じる。
 なぜだか気になってしまって、彼女を観察することにした。

 かれこれ30分以上も彼女のことを眺めている。俺も彼女もただの暇人。そう片付けてしまっていいだろう。俺は立ち上がり、店を出た。
 最後に彼女を見ようと振り返ると、そこにはひとりの男がいた。彼女には笑顔が浮かんでいた。待ち合わせだったのか。来てよかったじゃないか。俺は意味もなく笑う。
 そしてまた殺人的な暑さの中に身を投じた。


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DATE: 2009/06/16(火)   CATEGORY: 雑記
探し物は案外近くで見つかる(そして探すのを諦めたときに現れる)。
少し前からキャッシュカードをどこにやったかわからなくなっていた。
もうキャッシュカードは諦めていたのだが、今度は通帳までも見失った昨日。

えー、紛失魔です。

通帳もなくなったらシャレにならない。頑張っても今月しか生き延びれないわ!
とか思って、それなりに必死に探してみるも見つからない。そして探すのに疲れた(飽きた)。

「案外近くにある探し物って探してないときに見つかったりするから今日は諦めよう!」

というわけのわからないポジティヴ・シンキングを発揮してゲームをして過ごしてました。
ちなみにポイズン・ピンクはもうどうしようもないくらい詰まってしまい、これは最初からやり直すしかないんじゃないのか?レヴェルだと自覚したので、諦めて天誅参をやり始めたっていう。←諦めてばっかだな。

いや、天誅参おもしれぇ。

発売してからかれこれ何年経ったんだろう?
やり尽くしているはずなのに、今もなお楽しめるゲームランキング第1位です。たまにやりたくなるんだよなぁ。道とか敵の位置とか把握して記憶していたはずなのに、久し振り過ぎて迷う迷う。あまり記憶に頼り過ぎると忘れていて思いもしないところで敵に見つかってしまうっていう初歩ミスを繰り返すので得策ではない。あれは初心に戻ってプレイするべきだ。…そしてアイテム選択してからステージ開始までが長い。あの間は必要ないよなぁ。ロード時間なのかなぁ?
…で、やり過ぎて疲れたから睡眠。…したはずも午前3時に目が覚める(しかも爽快なまでに)。

もう眠気のかけらも感じられず、仕方ないので「通帳探そう」と現在の最重要事項の遂行を決意する。

数分後。
何となく通帳探してたら(←何となく? もっと真面目に探せ!)、まさかの―…



キャッシュカード発見!!



もうお前のことは完全に諦めてたよ。危うく紛失を届け出るところだったよ。
いやー、新しいの作らなくてよかったー。これ探しに実家にまで帰ったからね、俺。←最後に見たのは実家に帰ったときだった気がしたのだ。
そして、、もうこうなったら……通帳は諦めよう。


そのうち出てくるだろ。
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DATE: 2009/06/15(月)   CATEGORY: 雑記
覚醒するα。
ポイズン・ピンクやり始めた。普段はシミュレーションをやらないせいもあって悪戦苦闘。
何より魔人(神)のデザインに惹かれて買った。

しかし操作方法がわからないこと多くて困る。←説明書読まないからだ。

最近はあまり本を読んでいない。
もっと受動的なものばかり摂取している。映画とかドラマとかアニメとか。
ひとり暮らしを始めてからTV番組を観る率がグンと上がった(まあ、ドラマとアニメだけだが。それから気になる映画)。自由にTVを使えるのと録画できるという環境がそうさせている。…けど、やっぱ人より少ない気もする。まァ いいのだが。
しかし本を読まない代わりにマンガ率は確実に上がっている。どうもバランスよく出来ないらしく、マンガの期間はマンガだけ、映画の期間は映画だけ、本の期間は本だけとその期間に偏った楽しみ方をしている。

だけど、読みたい小説が1冊だけあるのだ。
しかしそれはどうやら絶版しているらしく、どこにも見当たらない。そんな古くもないのだけれど、全然見つからない。どうしても欲しいのだけれどなぁ。どっかにないかなぁ。

何か先ほどから話に脈絡がないような気がするのだが、あとは小説のこと書いておこう。
小説といっても正確には小説(のようなもの)だということは忘れてはいけない。つまりは俺が書いたものだ。
今は「TIME」という、もはや完全にだらけてしまっている小説を進めているが、1ヵ月くらい書くのを放棄したら完璧に今後のストーリーラインが思い出せなくなってしまった。ぐあ、無念。
タイトル通り時間軸がバラバラなので(主人公にとってはある種、一貫しているが)次はどこを書く予定だったのかサッパリ思い出せない。とても中途半端に書き残されている。参った。
しかしながらメインのテーマ(なんてあったのか!)はそれなりに書きたい内容であるからして、どうにか書き切りたいとは思っている。思っている。思っている……のだが(汗)
「TIME」のあとは短篇といくつかと「Butterfly kill's spider(仮題)」の連載しようかという予定というか目標というか、何かそんな感じの見通し的なものはあるのだ。そのうち以前のようなペースでの更新が出来るようにしたい。

何やらわけのわからない文章になっているが、気にするのはやめておこう。
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DATE: 2009/06/14(日)   CATEGORY: 短篇小説
TIME(8)
 ごくり。アルコールが体を巡る。智生は一気に缶に入った半分のビールを飲み、それをテーブルに置いた。そして大きく溜め息を吐き、あの藤阪今日子に思いを馳せる。
「付き合ってる人に似てる、か」最初に会ったときの言葉を思い出していた。「そりゃそうだよな。俺の親父なんだから」
 藤阪今日子。それは幼い頃に自分のもとを去った懐かしい母の名だった。旧姓など聞くまで思い出せもしなかった。母親のことは記憶にほとんど残っていないし、母方の祖父母は会ったことがあるのかどうかさえわからない。
 母はどうして家を出ていったのか。どうして父を、そして自分を置いて行ってしまったのだろうか。それは智生にとって幼少期からずっと疑問であり、心にしこりとなって残っていることでもあった。今はもう昔のように母がいなくなったことを引きずってはいないが、それが原因で父親とは仲違いをしてしまっていたともいえる。誰にぶつけたらいいのいい悲しみと憤りを、幼い智生はすべて父、雄一郎にぶつけてしまっていた。父の不甲斐なさを責めた。そこから少しずつ、父との軋轢は拡がり、結局は父の死に目にも会わないほどの関係にまで発展していしまっていた。それほどまでに、智生にとって母、今日子の存在は心の奥深くで根を張っているような、大きな存在なのである。若き母に出会って、智生が動揺してしまうのも無理のない話だった。

 美和はいなくなったのは父のせいだと思っている自分がいる。それは責任の転嫁以外の何物でもないのだが、智生にはそういう思いが拭いきれていない。母がどこかへ行ってしまったように、美和もどこかへ行ってしまった。つい自分と父を重ね合わせてしまう。自分が許せない存在のはずの父と自分は同じなのかという悔しさが智生に心には沈殿していた。この血がすべての根源か――。
 マグカップに入ったインスタントのコーヒーを飲み干し、時計を見た。編集長には休めと言われているが、いつまでもそうしているわけにもいかない。ここ数日のタイムトリップの影響なのか体は本調子ではなかったが、智生は仕事に出ようと部屋を出た。
 時間移動――タイムトリップは何が原因で起きていることなのか。もしかしたら精神的な病であるだけかもしれないが、もし本当に自分が過去へ飛んでいたのだと考えると、それはコントロールできることなのだろうか。自分の意思で時間を移動することさえできれば――。
 母が、美和が、いなくなった理由を知り得ることができるだろうか。

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