みやび萬紅堂。
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DATE: 2010/04/24(土)   CATEGORY: MUKURO・地獄篇
MUKURO・地獄篇‐38 (旅立ち)
 シューシューという音を立てながら怪物の肉体は黒い霧のような煙を上げていた。まるで肉体がカタチを維持できなくなり、文字通り霧散していくかのような光景だった。
 骸は、生き残った人間を見回した。
 かつてない禍々しさを持った、最凶の敵を前にして、ここまで生き延びてきた全員が生き残っておる。もちろん全員が無傷ではないが、それでも生き残ったのだ。この、地獄を。
 全身の震えがとまらないまま、必死になって縮こまっている望美の肩にトンと誰かの手が触れた。彼女は見上げ、それが飯沼だということに気が付いた。「大丈夫?」
 飯沼の右腕はすでに多量の血を流していたが、それでも出血は治まってきているようである。動かせる左腕を差し伸ばし、望美を立ち上がらせた。同時に、彼女の腕の中にいた耕太も立ち上がる。
「……助かったんすよね?」
 舘岡が誰に問うでもなく、そう呟いた。
「おそらくな」
 無感動の発せられた骸の声。しかし、その冷たい皮膚の下には、誰よりも熱い心が宿っていることを詩帆はもう知っている。この場にいる誰よりも自分たちを守ろうと己の身にも構わず、必死に闘ってくれていたことは、全員がわかっていた。
 不意に、詩帆の頬を涙が伝った。
「本当に、助かったんだ」
 もう何度諦めかけたことだろう。もう何度、死を覚悟したことだろう。
 詩帆はいま、自分がこうして生きていることが不思議でならなかった。これを奇跡と呼ぶのだろうか? この、一瞬にして地獄に変わり果てた世界を、自分はここまで生き延びた。自分たちは、どうにか生き延びてきたのだ。そう思うと目頭が熱くなった。溢れる涙がとめられない。――自分はいま、生きている。
「泣くのはまだ早いぞ」
 肩に傷を負った柳瀬を起こしながら、骸は詩帆にそう言い放った。「自分で立てるか?」
「ああ。――俺たちはやつを倒したんだな?」
「そうだ。それもお前たち人間が生きようとあがいた結果だよ。俺だけではやつを倒せなかっただろう」
「そう言ってくれると少しは救われるかな」
 柳瀬は苦笑して、骸に肩を借りながら立ち上がる。
 そして骸は再び、詩帆を見遣った。
「まだ泣くのは早い。――もし、俺についてくると言うなら、ここから先はもっと険しい道のりになるかもしれない。最初からどこが終着点なのか、俺にもわからないんだ。終わりのない闘いになるかもしれない。それでも、ついてくるのか?」
 目元をぐいっと手の腹で拭い、詩帆は真っ直ぐと骸を見つめた。
「ついて行く」
 明瞭(はっきり)と、力強い返事だ。
「俺もついて行くよ」
 やや弱弱しい声ではあるが、柳瀬もそう宣言した。
「俺もいいっすか?」と舘岡。
 それに続いて飯沼もみなに同行することを決めた。望美は、少し不安そうだったが、それでも置いていかれたくはないらしい。同意の証として、骸に頷いた。むろん、耕太だけを置いていくことはできない。つまり、この場にいる全員が先に進むことを決めていた。
「最後まで見届けさせて」
 双眸に強い光を宿して、詩帆が骸に言った。
「――全員、死ぬなよ」
 呟くような放たれた骸の言葉。
「わたしは死なない。絶対に、最後まで生き抜いてみせるから」
 一同はゆっくりと進み始めた。
 先に聳え立つのは天を貫くような巨塔だ。



 新たな旅立ちが、今始まったのだった――。



 (地獄篇・完)

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DATE: 2010/04/22(木)   CATEGORY: MUKURO・地獄篇
MUKURO・地獄篇‐37 (決着)
 地に倒れた巨獣の皮膚を突き破り、赤黒い触手がその体躯から這い出てきた。
 その太い触手の先端には、顔のようなものが付いている。――それは三貴彦のものだ。
 奇怪なろくろ首のような化け物の出現に、詩帆は思わずたじろいだ。馴染みの顔が、今はこれほどまでに恐ろしい。
「アア……アア……」
 かすれた声で呻く三貴彦の顔。
 充血した眼が詩帆の姿を捉えた。赤黒い触手の首を伸ばし、彼女に近付く。
 口が耳元まで裂けた。大口がガパッと音を立てるように開き、中から長い舌が這い出す。その赤々とした舌はべろりと詩帆の頬を舐めた。彼女にぞわりした怖気が襲ったが、あまりの恐怖に体が固まり身震いすらできないでいる。
 巨躯から這い出していたもう一本の触手が詩帆に近付いた。こちらには石平の顔がある。
「コワ、イカ……?」
 石平が何かを言った。
「……怖いか?」
 今度は先ほどより明瞭に、言葉を発した。
 にやりといやらしく笑っている。
「おい、怖いか?」
 石平の頭が付いた触手から腕のようなものが生えた。触手の一部が変化し、石平の体が形成されていく。その姿はまるで半人半蛇の化け物だ。
「もっと恐怖させてやろう」
 巨獣の体からさらに数本の太い触手が生え、それが地面に突き刺さった。そして巨獣の体躯が浮かび上がり、数本の触手は脚のように見える。それは異形の蜘蛛。
 規格外の化け物の登場に詩帆は動けずにいた。想像を絶する怪物。倒したと思えばより異質な存在になって蘇る。これを倒す方法などあるのだろうか? 際限のない闘いに、もはや彼女の戦意は削がれてしまっている。
「なにやってんだよ!」
 いつまでも化け物の眼前に立ったままでいる詩帆の腕を、駆けつけた舘岡が強い力で引っ張った。「早く逃げねえと! こんなやつと闘っても勝てねえっすよ!」
 詩帆は強引に化け物の前から引き離されたが、だからといって安全地帯に逃れられたわけではない。ここに安全地帯などなかった。世界はすでに地獄と化したのだ。そしてこの地獄には幾千という化け物が蔓延っている。その中でも最も醜悪で禍々しさを帯びた魔獣が眼前にいる事実はもはや救いなど存在する余地もないといえた。
 しかし――しかし彼らを天はまだ見放してはいなかった。今、この場にある唯一の希望が立ち上がった。
 骸は満身創痍の体に構うことなく立ち上がり、新たな骨刀――それの生成は確実に彼のエネルギーを消費させた――を口に銜えた。血に塗れた彼だが、その双眸には鬼気が宿っている。
 未だ右腕を失っているが、それでも骸は構わない。
 彼は疾駆した。風を切り裂き、地を這う雷の如き俊敏さで化け物までの距離を詰めた。まさに疾風迅雷、電光石火の速度で化け物の頭に昇り、巨獣の額に刺さったもう1本の骨刀を左腕で引き抜いた。
 魔人――今の骸は魔人だ。
 命のエネルギーを消費して、彼は動いている。死の直前のエネルギーの瞬き、超新星の爆発力だ。
 数本の触手が骸に向かう。それを薙ぎ払い、彼は三貴彦の頭の前に飛び込んだ。左腕の骨刀が一閃する。三貴彦の頭は地に転がった。
 それを見て、詩帆は思わず両目を覆う。
 骸の勢いは止まらず、彼は宙に浮く巨獣の背に飛び乗った。触手が彼を払い落とそうとする。しかし骨刀がそれを阻止し、触手との攻防が続いた。
「邪魔スルナ」
 憤怒の表情を浮かべた石平が骸に接近する。
 石平の両腕が大きな黒い鉤爪に変化し、骸の腹部を抉った。
「お前の邪魔をするのが俺の役目だ」
 骨刀が石平の右眼を貫いた。
 痛みを感じるのかはわからないが、石平はもがき、再び鉤爪が骸を襲う。残っていた左腕が切り裂かれ、もはや使い物にはなりそうもない。
 骸は口に銜えた骨刀で石平の首を狙った。
 血が迸(ほとばし)る。
 石平の頭は地に落ち、首を失った半身はぐったりと力をなくした。
 巨獣の触手が粘土細工のように崩れ出し、化け物は地上に倒れた。
 骸の美しい貌が、わずかに笑みを浮かべた。


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DATE: 2010/04/20(火)   CATEGORY: MUKURO・地獄篇
MUKURO・地獄篇‐36 (生への執着)
 べヒモスの太い角が柳瀬の肩を抉った。
 彼は唸ると同時に強い力で振り払われ、離れた地面に転がる。
 骨刀は巨獣の額に突き刺さったままで、まるで3本角のようにも見えた。
 低い、腹に響くような獣の咆哮。
 血が溢れ、べヒモスの視界を塞いでいた。
 背の触手はビュルンビュルンと暴れ、辺りの地面を無差別に抉る。その姿は破壊そのものと呼べなくもない。災厄がカタチを成したようでもあった。
 詩帆は震える両脚に力を込め、持てる気力を振り絞って地面を踏みしめた。
 ――覚悟を決めるしかない。
 強い意志が彼女を支える。それは、彼女の生きる意志。生への執着である。
 彼女は自分の存在がどういうものなのか知ってなお、今こうして生きようとしていた。生に夢中にしがみつこうとしている。
 恐れを紛らわすために唇を噛み締めた。血が滲む。
 今なら、自分でもあの巨大な破壊者を止めることができるかもしれない。あの災厄そのものを打ち倒すことができるかもしれない。
 そのようにして彼女に勝機を見出させたのは、他ならざる額の骨刀の存在である。
 彼女は、巨獣の額に突き刺さった骨刀をさらに奥深くへと押し込んでやろうと考えていた。もちろん成功するかはわからない。しかし、それに望みを賭けるしか勝算はないように思えた。
 ――どうせ死ぬなら、あがいて死んでやる!!
 それはかつての安生 三貴彦の覚悟と同じものだった。
 彼女は、これまで自分を守ってくれた者のため、今、自分が守れる者のため、そして何より自分自身のために、命を賭けようとしている。
 多くの想いが、彼女を強くした。
 強い意志で、地面を踏みしめている。
 檜山 詩帆は全力で疾走した。
 その走りは力強く、執念の炎が燃えている。
 双眸が巨獣を睨みつけた。
 狙うは額の骨刀それのみ。
 ビュルン。背の触手が彼女の頬をかすめた。その圧力は凄まじく、それだけで皮膚を裂き、血が溢れる。
 しかし彼女は構わない。ただ突き進む。
 右腕がグッと伸びて骨刀に向かった。暴れる触手が地面を抉り、抉れた部分が詩帆を襲う。彼女は脇腹に硬いものを受け止め、わずかに呻いた。しかし止まらない。
 骨刀の柄(つか)と呼べるあたりに詩帆の腕が絡みついた。
 彼女は顔を歪めながら、力強くそれを押し込む。
 苦痛ゆえの咆哮が辺りに轟いた。
 べヒモスは血を吐き散らしながら体を暴れさせ、頭を左右に激しく振るう。
 そして、最後に小さくグゥと鳴くと大きな音を立てて地面に倒れ込んだ。
 それを見下ろす詩帆の姿がそこにあった。

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DATE: 2010/04/18(日)   CATEGORY: MUKURO・地獄篇
MUKURO・地獄篇‐35 (べヒモス)
 全身を隆起させながら、巨大なヒグマは凄まじい咆哮を上げた。隆起した部位の皮膚は突き破られ、樹木の根のような太くゴツゴツとした触手が肉の下から這い出す。そして蛸(タコ)の足にも見えるその触手はうねうねと踊り出した。
「なんすかアレ……」
 左の眼球も突き破られた。うねる触手。残った右眼は充血して赤々とギョロついている。
「早めに片した方がよさそうだな――」
 骸が一瞬で間を詰め、右手に持った骨刀を異形と化したヒグマの頭に向かって縦一文字に振り下ろした。会心の一撃。
 しかしヒグマにはほとんどダメージの様子は見られず、多少血が流れてはいるが硬度のある頭蓋骨が脳を守ったようだった。背中の触手が骸を薙ぎ払う。
 体勢を整える間も与えず連続して触手が骸を襲った。素早く骨刀で応じるが複数の触手の全てを払い除けるのは無理のようだ。触手の先端が肩をかすり、わずかに肉を抉った。
「離れてろ!!」
 その叫びに、舘岡はびくりとして慌てて飯沼を連れて出来るだけ骸とヒグマの闘いから距離を置こうとする。
 ヒグマの右腕が骸の体を捉えた。彼は勢いよく弾き飛ばされ、硬く鋭い爪によって脇腹の肉が抉れ、骨が垣間見える。ダメージは大きかったらしい。骸はのっそりと起き上がった。
「ガルルァァァアアア!!」
 野太い咆哮とともに再び爪が彼を襲う。骨刀で防ごうととっさに構えたが、ヒグマの破壊力は凄まじく、骸の腕もろとも骨刀を吹き飛ばしてしまった。骸は右腕の半分を失った。
 骸の左手首が突起して、骨のようなものが飛び出す。新たな骨刀のようだった。それまでのものと比べやや短い骨刀だ。
「さて、どうしたものか――」
 恐るべき跳躍力で骸は宙に舞った。
 ヒグマの真上から垂直に降下を始める。骨刀の切っ先がヒグマの脳天に向けられた。骸の体に落下の速度が加わり、凄まじい衝撃がヒグマを襲った。今度こそ骨刀は頭蓋骨を穿ち、確実にダメージを与えている。
 再び咆哮が轟いた。
 触手が骸を払い飛ばす。骨刀があと少しのところで脳を破壊するほど深く貫けなかったようだ。せっかくのチャンスだったがヒグマを倒す決定打にはなることは出来なかった。
「グォォォォォォォオオオオ――!!」
 ヒグマの頭部にバッファローのような太い角が生え始めた。
 もはやその生き物はヒグマではない。体中から蛸足のように触手を這わせ、額には2本の猛々しい角。その姿は神の傑作とまで謂れた陸の怪物、べヒモスを連想させた。しかしこちらのべヒモスは禍々しく凶暴なオーラを纏っている。目の前にあるもの全てを滅ぼさんという遺志すら垣間見えるようだった。
 魔を体現したかのようなべヒモスが恐るべき瞬発力で疾駆する。その速度は100メートルを3、4秒で走りきってしまうほどだろう。隆々とした角が骸を捉え、べヒモスは勢いよく突進した。骸の両脚が宙に浮く。巨大な角が彼の体を貫いている。
「俺だって不死身ではないんだがな……」
 べヒモスは頭を大きく振り乱して骸の体を払い落とす。彼は強く体を打って地面に転がった。内臓はズタズタに裂かれ、胴は紙一重で繋がっていた。
 望美は恐ろしさのあまり震えが止まらなかった。せめて耕太だけでも守ろうと抱きかかえていたのだが、その姿は何かに縋ろうとしているようにも見えた。
 そんな望美の視界に一つの影は入り込んできた。柳瀬だ。彼は骸の落とした骨刀を拾い上げ手にしている。
 柳瀬が疾走した。べヒモスの額にある傷――骸が穿った頭蓋骨の穴を的確に狙えば勝機はあるかもしれない。そのような思いが柳瀬にはあった。
 べヒモスは憤怒を身に纏い、その独眼が柳瀬を睨めつける。
 柳瀬の手に力が籠もった。骨刀が鋭く空気を切り裂きべヒモスに向かっていく。その切っ先がべヒモスの額に刺さる。
 しかしそれと同時に、柳瀬を阻むように太い角の尖った先が柳瀬の肩を突き刺していた。
 柳瀬の腕から血が滴った。

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DATE: 2010/04/16(金)   CATEGORY: MUKURO・地獄篇
MUKURO・地獄篇‐34 (再来)
「すまない。今までこうして人に説明したことはないし、言葉にしようと思ったこともない。ただ俺は感覚的にそれを理解し、知っていただけだ。上手く言葉に出来たかどうかもわからないし、そもそも自分ですら全てを知っているわけでもない。そこのところは理解して欲しい」
 骸の言葉に全員が黙った。何の言葉も浮かんではこなかったのだ。
 ただ、それぞれに今の話を整理しようと躍起になっている自分がいるに違いない。
 ふと詩帆はあることに気が付いた。「それで、結局あなたは何なの?」
「正直なところ、それは俺にもわからない。化け物が自分の生まれを知らないように、君たち人間が自分がどういう存在を知らなかったように、俺自身が一体何者で何のために存在しているかというのはわからない。ただ、自分が魂のない言わば精神だけの存在で、本能がやつらに対抗し人間を救うべきだと告げている。
 おそらく、そういう存在なのだろう。
 化け物どもが人間を襲うのは人間の持つ魂が欲しいからだ。化け物どもには俺と同じように魂がない。無いものを手に入れようという本能がやつらにはある。俺はそれを防ぎたい。正があれば負がある。同じくして負があれば正もあるように、俺は化け物どもと同時に生まれた、やつらと対極の存在なのだと思っている」
 わかったようなわからないような気持ちが湧き起こるが、それでも詩帆は自分たちにとって骸は敵ではないと思った。彼の言葉を信じるならば彼は人間たちの守護者なのだ。
「これからどうするの?」
 詩帆の言葉に骸が答えようとしたとき、大きな揺れが彼らを襲った。――地震だ。
「うおっ! これまたでけえな」
 館岡が地面に転がった。
 みな両脚に力を込め、踏ん張るようにして地震が過ぎるのを待った。
 凄まじい轟音が鳴り響き、天地が逆さになるのではないかと思うほどの揺れが続いた。
 しばらくして揺れは収まったが、そのとき詩帆はあるものを見た。――それは塔だった。
 天を貫くほど高く聳えた巨大な塔が、いつの間にかに姿を現していた。石造りの塔だ。
 あまりの高さに天辺は見えず、途中で雲に隠れている。
「あれは一体……」
 思わずそう呟かずにはいられないような謎の塔。
 それには骸が声を発した。
「メビウスの塔だ。俺はそう呼んでいる」
「メビウスの塔?」
「世界と世界を繋ぐ塔だ。あの塔はもう一つの世界、肉体ある世界へと繋がっているはずだ」
 そう言い終えるや否や、巨大な影が空を飛んで行った。黒い翼を羽ばたかせた、大きな化け物。
「あれ……なに………?」
 街中の魑魅魍魎妖魔の類いがその姿を見せ、メビウスの塔に向かっているのが見えた。その光景は砂糖菓子に群がる蟻のようだと詩帆は思った。巨大な空飛ぶ影が塔と伝うように天空に駆け上っていく。
「どうやら時間がないようだ。――俺はあの塔を目指す。このあとお前たちがどうするかは自由だ。おそらくやつらのほとんどこの世界を去るだろう。そういう意味ではここは安全になりつつある」
 正直なところ、そう言われてしまったら誰もが戸惑うだろう。今まで生き延びるために必死にやってきたが、化け物どもが去ったからもう大丈夫ですと言われてもどうしていいかわからなかった。全てが崩壊したこの世界でどう生きていけばいいのか。――それともこの記憶もいずれ失われ、何事もなかったように世界は再開されるのだろうか?
 詩帆はある覚悟を決めていた。
「わたしも行く」
「それも構わない。この世界の秩序は失われてしまった。法則は乱され、このあと世界がどうなるのかは俺にもわからない。そしてあの塔の先に行ってどうなるかもだ。――そういう意味ではどちらを選ぶのも大した変わりはないのかもしれない」
 他に一緒に行きたい者は?という意味で、骸が顔を見回した。
「俺もいいっすか?」館岡は手を上げた。
「構わない。他にもいれば――その前に客のようだ」
 彼らの目の前に、巨大な黒い塊が現れた。
 それは、あの3メートルを超えたヒグマだった。
 ヒグマの肩が異様に盛り上がっており、筋肉が皮膚を破いているのが見える。全身の筋肉が急激に膨張しているようで、背中も同様に皮膚が破けピンクの筋繊維が目に付く。
 獣の咆哮が大気を震わせた。
 目にも留まらぬおそるべき速度で大きな爪が飯沼の右腕を抉り、彼はその圧力で吹き飛ばされた。館岡が駆け寄る。「飯沼さん!」
 傷口からは血がドクドクと流れ出ていた。精神と魂で出来た存在でも大量出血で死ぬのだろうか、と館岡は思った。しかし傷を負えば痛い。血を失えば死ぬ。そのようなことは当然のものとして意識に刷り込まれている。先程の話によれば思い込みによる死が待っているのかもしれない。――だが、すでに既成概念は崩れかかっている。骸はバラバラだった体から元に戻ったが、それは自分たちにも可能なのだろうか?
 またもヒグマの腕が唸りを上げて飯沼に襲いかかる。横から影が飛び込んできたのが舘岡には見えた。骸だ。骸は自身の体を盾にして飯沼を守ろうとしたが、まるで糸屑のように軽々と吹き飛ばされた。凄まじい膂力だ。
「飯沼さん、立ってください! 逃げないとやばいっすよ!」
 ヒグマの赤く光る双眸が飯沼を睨めつけた。
 咆哮。舘岡が後ずさる。ヒグマが体を起こして立ち上がり、舘岡たちを見下ろした。
「化け物、こっちだ!!」
 礫(つぶて)がヒグマの顔に当たった。柳瀬は抉れたアスファルトの欠片を拾い、再びヒグマに投げつける。憤怒の咆哮が上がった。牙を剥き出し、涎(よだれ)を撒き散らしながらヒグマは柳瀬に詰め寄っていく。
「それ以上は行かせない!」
 ヒグマの肩に白いものが突き刺さった。骸の骨刀は肉に喰い込み、深々と刺さっている。ヒグマは体を振るわせ、骸を体から引き離した。
 そのとき、ヒグマの体に変化が起こった。

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