みやび萬紅堂。
いらっしゃいませ。コメントはお気軽に。
DATE: 2008/07/23(水)   CATEGORY: 雨の日のうた
雨の日のうた(14)
 水曜日。
 俺は空港に向かう途中のカーキのランクルに揺られていた。隣りには可南子。運転席にでは哲郎さんがハンドルを握っていた。

可南子が飛行機で帰ることにしたのは月曜日に本人から聞いた。
「最初は新幹線で帰るつもりだったんだけどね」
 可南子の黒く大きな瞳がこちらを見ていた。もう可南子といられるのも水曜日までなのだと思うとすこしさみしくなった。
「お兄ちゃんが飛行機で帰れって。お金も出してくれたから、飛行機で帰ることにした」
「堕ちないといいな」
 なにが? といった表情の可南子。
「飛行機」
 俺の言ったことを聞くと可南子は笑った。
「もう! 不吉なことは言わないでぇ」
 飛行機代っていくらくらいなのかな? 俺が可南子に会いに行くとしたらどれほどの金が必要になるんだ? 俺はそんな気なんかないくせに、そんなことを考えていた。
 
「ケンくんってばー」
 可南子の声を聞いて俺は可南子たちに目をやった。なぜか知らないがケンも勝手について来ていて、俺らと同じ車に乗っていたのだ。
「どうしたんだよ?」
「ケンくんがさー」
 自分で訊いておきながらだけれど、俺は可南子のせりふが耳に入っていなかった。
 もうすこしで可南子ともお別れなんだよな。あとすこしの時間で。もっと一緒にいたい。いつからこんなに弱くなったんだろう。昔はそれが好きな女でも、ここまで別れることに執着しなかったはずだ。しっかりしろよ、俺。これが今生の別れじゃないだろ? いや、そうなるのかもしれない。俺と可南子を繋ぐものなんて、思っているより拙(つたな)いんだ。
「ちょっと聞いてる?」
 俺は現実世界に意識を戻した。
「ああ、聞いてるよ」
「大丈夫? 車酔いでもした?」
「いいや。大したことはないって」
 ヘイヘイヘイ。しっかりするんだ、俺。
「龍次ってば、可南子ちゃんとお別れするのがさみしいんだよー」
 ケンが言った。いつのまにかに「ちゃん」付けに戻っているのが気になった。
「うるせェよ」
「あー、ほんとなんだぁ」と可南子。「可南子と離れるのがそんなにさみしい?」
俺は何も言わなかった。
そうしているうちに車は空港に着いた。俺はずっと何も言わないまま黙っていた。可南子の荷物を哲郎さんが持ってあげているのが見える。俺はずっと、ただただ黙っていた。可南子はそんな俺を気にしていたが、ケンがそんな必要ないと言って俺から可南子を離し、自分が可南子と話し始めた。
「もう行っちゃうよ?」
 哲郎さんの言葉を聞き、俺は時計を見た。もう搭乗する時間だ。
「何も言わないままでいいの?」
 哲郎さんは優しい口調でそう言った。
 何も言わないままでいい? そんなわけないだろ。何やってんだよ、俺は。
「可南子!」
 搭乗時間が迫って、先へと進もうとしている可南子を呼び止めた。可南子がこちらを向く。
「さみしいんだ!」
 俺は続けた。
「俺、可南子と離れるのがすげぇさみしい! 正直言うと離れたくなんかない! どうしようもないくらい好きなんだ! 俺、可南子のことが大好きだ!」
 可南子は微笑みながら俺のことを見てる。
「なんだんだよ、チクショウ。こんな気持ちなったことねーからわかんねぇんだよ。こんなに人と離れるのが嫌だなんて今までなかった。これが本当に好きってことなのかよ? ああ? 俺はどうすればいいんだよ? なあ! 教えてくれよ! 俺はどうすればいい? なあ!」
 俺の中のどこか奥底から熱いものが込み上げてきて止まらない。なんなんだこの気持ちは。なんで俺は泣いてるんだ? それも大泣きだ。涙が止まらねえ。これはどうすれば止まるんだ!
「ありがとう。」
 可南子は言った。
「そんなに好きになってくれてありがとう」
 可南子も泣いていた。笑いながらだけど、泣いていた。
「可南子も龍次のことが大好きだよ。」
 そう言ってから可南子は自分の涙を拭う。
「もう時間だから行くね。じゃあね。バイバイ」
 そのまま可南子は行ってしまった。それからすこしすると大空に飛び立つ飛行機が見えた。空は快晴だ。もう雨は降っていない。梅雨は明けたんだろう。
俺はこれからの日常を思ってみた。とりあえず、じめじめもムシムシも消えた。もう俺を悩ますものはない。俺は笑った。大声で笑ってみた。相変わらず涙は止まらなかったけれど、俺は笑った。バイバイ、可南子。グッバイ、梅雨。俺はすべてを笑い飛ばすかのように笑った。涙なんか梅雨と一緒にどっかに行っちまえ!
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DATE: 2008/07/22(火)   CATEGORY: 雨の日のうた
雨の日のうた(13)
 可南子の母さんの葬式も終え、迎えた次の日曜日。可南子は俺の部屋にいた。
 ベッドの腰掛けている可南子にいつのまに進入してきたのかもわからないカシスがすり寄る。それからニャアと鳴いた。
「可愛い猫ちゃん」
 可南子はそう言ってカシスの頭をなでた。
「なんて名前なの?」
「カシス」
 そうかー、カシスちゃんかー。ってカシスはオスだけどな。オスに「ちゃん」付けは可哀相だと思うのは人間のオスの感覚なのだろうか?
「なんでカシス?」
「色だよ」
「色?」可南子はわからないといった表情。
「光に当ててよく見てみると、ただの黒じゃなくて、すこし紫がかって見えるだろ?」
 可南子は言われるままにカシスを持ち上げ部屋の灯りへと近づけてみていた。
「あー! ほんとだぁ! けっこう紫色なんだね、この子!」
 可南子がはしゃぐ。
「だからカシス」
「なるほどー。カシスっぽい色してるもんね、たしかに」
 俺たちはいつもと変わらないように会話をしていた。だけど、この前みたいに唇を、肌を、身体を重ね合わせるなんてことはしない。あんなことはもうすることはないだろうということは俺たちふたりともわかっていることなんだと思う。そう、なんとなく。感覚的に。
「いつ、帰るんだ?」
 母親の看病のためにこんな田舎にまで来た可南子は、もう役目を果たして帰ることになる。
「えーっとね、水曜日に帰るよ」
 俺は見逃さなかった。可南子はすこしだけ悲しそうな顔をしたことを。
「帰るなよ」
 思わず出た本音。
俺にそう言われ、可南子は困惑した表情になった。それからすこしだけ沈黙が流れる。
「冗談だって。そんなこと言って可南子に迷惑かけるつもりはないよ」
 沈黙に耐え切れずに俺は言った。
本当は本当に引き止めたい。だけどそんなこと可南子に言えるか? 可南子は可南子で、元の生活というものがあるんだ。
「ごめんね」
 可南子がぽつりとそう言った。あまりに小さく呟くから思わず俺は聞き落とすところだった。そして可南子の瞳は涙で陽炎(かげろう)のように揺れている。
「何も言うな」
 俺はもう二度とするはずのなかったキスをした。俺と可南子の唇が触れあう。そのまま数分の時が流れた。現れたときと同じように、いつのまにかにカシスはいなくなっていた。きっと「はいはい。ふたりの邪魔はしませんよ」と小言を漏らしていったに違いない。
「いつか俺が行くからさ。可南子の住む街に。それまで待っててくれよ」
 唇を離すと俺はそう言っていた。
「あ、待っていれたらでいいんだけどな」
 可南子は泣いてるのか笑ってるのかわからないように笑った。俺も何言ってるんだろうな? って感じで笑った。
 俺たちはわかっていた。短い時の中で急激に近付いた俺たちには、それがわずかな時間だとしても離れるのは俺たちにとって致命的だということが。

もう俺らの時間が重なることはないだろう。

+++

「もう帰るね」と可南子は言った。俺がそれを母さんに伝えると、ごはんも食べていったらいいのに、というようなリアクションをした。でも可南子はそれを丁寧に断った。
 俺は家の前に停めてあったヨンフォアにエンジンをかけようとすると可南子はそれを止めて言う。
「今日は迎えがあるからいいよ」
「迎え?」
「うん。お兄ちゃんが来てくれるって」
 オイオイオイ。可南子に兄貴がいるなんて初耳だぜベイベッ!
「兄さん、いたの?」
 俺はおそるおそる訊いてみた。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
 ハイ、イッテマオリセン。
どうしようかと俺は悩んだ。以前、セフレの女の兄貴が出てきたときは大変な目にあったという苦い記憶がある。そいつの兄貴はプロレスラーくずれみたいなえらいガタイで俺なんかじゃ全然太刀打ちができなさそうなやつ。
「こいつと付き合ってるのか?」そのとき俺はそう訊かれて思わず言ってしまった「ハイ、オツキアイサセテモラッテマス」と。それを聞いたプロレスラーくずれの兄貴は「大切にしてやってくれ」と意外にも妹思いな発言をしてみせた。それを聞いて「絶対大切にしてみせます!」なんて言ったどっかの誰かは、その女を大切に思っていたわけでも、別に兄妹間の愛に打たれたわけでもなく、ただ単に自分の身の危険を察知して自己防衛のためについ言ってしまったのだった。
 ああ、思い出したくもない苦い思い出。
「あ、来たみたい!」
 俺は可南子の視線の先に目を合わせた。ホンダのインテグラ タイプRがこちらへと向かって走ってきている。
 再び苦い思い出が脳裏をよぎった。いや、今回はちゃんと付き合ってるじゃあないか。俺は自分に言い聞かせる。…俺たちは付き合ってるのか? よく考えてみたら、他人から見たらいなくなるとわかってる女が弱っているところを突いて、一日だけの関係を結んだ男っていうふうに見えていてもおかしくはない。可南子は俺のことをどれだけ兄貴に伝えたんだろうか。
 白のインテRはこちらへと近付いてきた。
 落ち着け落ち着け。可南子の兄さんがそんな人なわけないだろ? とりあえずプロレスラーくずれのはずなんかはない。と思う。
「可南子の兄貴って、母親似?」
「えー、お父さん似かなぁ」
「可南子の親父さんって、プロレスラー目指してたとかじゃないよね?」
「どうだろ? 観るのは好きみたいだけど」
 やばいやばいやばい。もしかして兄さんもプロレス好きじゃあないだろうね?
「兄貴は?」
「え?」
「プロレス」
 俺の質問の意味を可南子が理解して答えようとしたそのとき、車のドアが開く音がした。そしてバタンと閉まる音も。
「こんにちは」
 そう声をかけられ、俺はおそるおそる振り返る。
 そこには一見すれば好青年といった感じの細身の男が立っていた。
「どうも。可南子の兄の源一郎です」
 さわやかなその男はそう言ったあと手を差し伸べてきた。
「あ、ああ、龍次です」
 やっとのことでその行為の意味を理解して、俺の手を差し伸べ、源一郎さんの手を握った。幸運なことに、可南子の兄貴は好青年そのものといった感じだった。ふう、気が抜ける。
「話は可南子から聞いているよ。本当に真っ赤な髪なんだねぇ」
 可南子の兄貴、源一郎さんはそう言って笑う。
「本当はゆっくり話をしていたいところなんだけれど、可南子の荷物の整理が残っていてね。俺も手伝ってなんとか半分は済んだんだけれど、まだ半分は残ってるんだ」
「ごめん! お兄ちゃんは今日の夜帰るからさ。急いで帰って整理を手伝ってもらわないといけないんだ!」
 可南子はそう言うと急ぎ足でインテRへと飛び乗った。
「そういうことだったら俺に言ってくれればいいのに」
 可南子は笑った。
「ううん。いいよ、いいよ。たまには兄らしいこともしてもらわないと! 妹の荷物の整理を手伝うとか、ね」
 それを聞いてすこし困惑した表情で源一郎さんは言った。
「こういう妹を持つと大変でね。とりあえず今日はこれで失礼するよ。また今度ゆっくり話ができるといいね。じゃあ」
 そう言って源一郎さんも車に乗り込んだ。インテRにエンジンがかかる。
「じゃーねー! また明日!」
 可南子はインテRの窓から顔を出し手を振っている。俺も小さく手を振り返した。
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DATE: 2008/07/21(月)   CATEGORY: 雨の日のうた
雨の日のうた(12)
 電話から1時間もしないうちに哲郎さんの愛車であるカーキ色をしたトヨタ・ランドクルーザーが家の前まで来て、停まった。このすこし古い型のランクルは、哲郎さんが友達にタダ同然で譲り受けた中古車だった。だからこそ哲郎さんは愛車ヨンフォアをこれまたタダで、俺に譲ってくれたわけだ。
 俺は可南子と一緒に玄関まで行った。そして待っていてくれた哲郎さんのランクルに可南子を押し込めてから、俺が乗った。前の持ち主に塗装されたカーキのランクルは走り出して、可南子の住む部屋があるアパートへと向かった。
「ほんと、ありがとうございます」
 自分が送ってもらっていることに可南子が礼を言うと哲郎さんは「気にしなくていいから」と答えた。ついでに「それより龍次をよろしくね」とも言った。
 雨の中を30分くらい走っていると可南子の住むアパートが見えてきた。俺は可南子を見る。同時に可南子もこっちを見たせいでふたりの目が合った。すると可南子は、ふふふ、と笑い「大丈夫だから」と言った。何が大丈夫なのかはわからないけれど、可南子が大丈夫と言うならそうなんだろう。
「つよいな」
 俺がそう言うと可南子は目をまるくした。
「え? そんなことないよ」
「いや、つよいよ」
「だって今日だっていっぱい泣いちゃったし、龍次がいてくれなかったらもうどうしようもなくてもっと大変だったよ」
 俺は微笑んだ。やっぱり可南子はつよい。俺なんかよりも全然。そう思ったとき哲郎さんの声が聞こえてきた。「着いたよ」。車の外を見るともう可南子のアパートの前だった。
「ありがとうございました」
可南子は哲郎さんに礼を言って車を降りた。
「じゃあね。また連絡するから」
 その言葉を聞いて、俺は頷いた。
 可南子は雨に打たれぬように急いでアパートへ駆け寄り、自分の部屋へと向かった。
「これからどうする?」
 哲郎さんの声を聞いても俺は答えなかった。
「俺の部屋に来るか? コーヒーくらいは出すぞ?」
 俺は何も言わずに頷いた。それを見た哲郎さんはアクセルを踏んで車を出した。俺はまたしても窓の外を見たけれど、雨はまだ降りやみそうになかった。

+++

 次の日、可南子の母さんの通夜が行われた。
 通夜のときに見た可南子の母方の祖父母は、可南子とすこしだけ似ていた。そのとき可南子は母さん似だったのかな、なんて考えたりした。
 通夜の参列者はみんな悲しそうだったり泣いたりしていた。まあ、当たり前っていえば当たり前なんだけど。俺は可南子の姿を探した。俺が見つけたときの可南子はまったく涙なんて見せていなかった。それが母親の死を悲しんでいない娘の姿ではないことはわかる。きっと母親を気丈な姿で見送りたいのだろう。泣くならもう充分泣いた。可南子が自分の心にそう言いつけているのが聞こえてくるようだった。
 俺は可南子の母さんの遺影を見つめた。その遺影の人物は可南子によく似ていた。すこし幼さが残っているけれど、とても美人な女性だった。可南子の童顔は母親譲りということか。俺はこんなカタチで可南子の母さんと初めての顔合わせになってしまったことを残念に思った。
 俺はあることに気付いた。気丈に振舞っている可南子の瞳が涙でうるみ始めているのだ。やはり自分の母親の死だ、そう簡単には受け入れられないなんて当たり前じゃないか。

+++

俺は通夜の途中で帰った。来るときはタクシーに乗ってきていたが、俺は歩いて帰ることにした。もう長いこと歩いているけれど、家まではまだまだ距離がある。
なぜ通夜の途中で帰ることにしたかというと、俺はあの場にふさわしくないような気がしたからだ。周りの参列者はひとりの女性も死に、みな悲しんでいたことだろうと思う。でも俺は違った。会ったこともないひとりの人間のために悲しい気持ちにはなれなかった。だから俺はあの場にいるべきではなかったのだと思う。どうせ可南子は通夜の後片付けなどに追われて、俺とゆっくりしていることはできなかっただろう。自分があの場から退いて正解だったと思う。

 俺が歩いているとスクーターが近付いてくる音がした。俺は振り向いて見てみると、そこにはヤマハ・VOXに乗る義之がいた。
「歩いてどこ行くの?」と義之が訊いてきた。
「帰宅途中だよ」
 義之はすこし驚いた表情だ。
「ここから?」信じられずに確認をとる義之。
「そうだよ。歩いて帰れなくもないだろ?」
「まあ、時間を気にしなければ、ね」
 それより俺はひとつ気になることがあった。
「免許、取ったのか?」
「うん。やっとだけどね」
 続けて義之は俺に文句を言ってきた。またか、と俺は思う。実は義之には昔俺が乗っていたスクーター、ディオを譲るという約束をしていたのだ。免許を取ったらという条件付きで。でもなかな免許を取らない義之クンを待ち疲れてしまい、結局はスクーターを欲しがってたケンに安値で売ってしまっていた。それを義之はずーっと根に持ってるようだ。たしか可南子にもこのことを言っていたような気がする。
「でもVOXの方がお前に似合うよ」
 義之はにやっと笑った。
「僕もそう思う」
 だったらもう根に持つのやめろよ! なんて思ったけれど、それとこれとは別問題らしい。本当、わずらわしいやつだ。
「家に帰るんでしょ? 送ろうか?」
 俺はすこしだけ悩んだ。たしかにこのまま歩いて行くとしたら家に着くのは何時頃になるんだろうな。
「ヘルメットはないけど」
 義之はにやりとした。
「それに原付のタンデムは違反だけど」
 ハッ。タンデムなんてカッコつけて言いやがって。つまりは2人乗りのこと。
 俺もにやりとしてホワイトのVOXにまたがった。
「Let’s go!」
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DATE: 2008/07/20(日)   CATEGORY: 雨の日のうた
雨の日のうた(11)
 俺は、そっと可南子をベッドへと倒した。そのあいだも唇は重ねたままだ。そして可南子の着ているジャージのファスナーをジジジ‥と下ろした。そうやってゆっくりと可南子の服を脱がす。そのあいだ、俺は可南子の身体(からだ)にキスをした。徐々に現れてくる可南子の肌に徐々にキスをしていく。このとき、俺たちのあいだに言葉なんて要らなかった。可南子は俺の服を脱がして、ふたりは裸になった。俺の肌と可南子の肌が触れ合う。ひんやりとした感触。可南子の身体は雨に打たれて冷えきっていた。俺はそれを温めるように肌を合わせた。
 俺たちは長いこと互いの身体にキスをし合った。それは本当に長い時間をかけて行われた。ゆっくりと優しく。お互いの心拍数があがっていっていることがわかった。ドクドクドク。心臓の鼓動を聞きながら俺は可南子の乳房にキスをした。
 俺は右手を可南子の下腹部よりすこし下へと這わせた。そして可南子の中へと指を入れた。可南子の体温が俺の中指に伝わってきた。それはとても温かく、俺を迎えてくれているようだった。俺が指を動かすと可南子の声がもれた。俺は指の動きを止めず、むしろ早めた。可南子は我慢しているようだったけれど、それでも何度か声がもれた。それを聴いて俺の全血液が身体の一点に集中しているのがわかった。俺の一部は硬度を高めつつ、大きくなった。
「いい?」
 俺が訊くと、可南子は恥ずかしそうに頷いた。
 今最も俺の中で硬い部分が可南子の柔らかい部分に当たった。そして俺の一部は中へと入り、俺は再び可南子の体温を実感する。今度は温かいというよりは熱いくらいだった。俺が動き始めると再び可南子の口から声がもれた。それを聴いて何度も何度も動いた。それは単調な繰り返しだけれど、今の俺らにはとても必要なことだった。俺は、可南子の隙間を埋めていくように動いた。
俺は可南子の耳元である言葉をささやくと可南子は顔を赤らめた。こんなときに言うほど、それは嘘っぽく聞こえるのかもしれないけれど、今の俺らにはそんなことは関係なかった。俺の気持ちは可南子にちゃんと伝わっていたはずだから。
「愛してるよ」
俺はそうささやいた。

+++

 俺たちは何度も何度も抱き合った。日が暮れて、その日が終わってしまうんじゃないかって時間まで抱き合い続けた。けれども何度しても可南子とのセックスは気持ちよかった。身体だけじゃない。心も繋がってる感じ。そして今という時間を共有しているこの感覚。俺たちにはそれだけでよかった。
 可南子が時計を見てそろそろ帰らなきゃいけないと言った。俺は窓の外を見た。雨が弱まる気配はなかった。この天気だとバイクも出せない。俺はとりえずシャワーでも浴びてくるように言った。可南子に風呂場を案内してバスタオルを準備した。それから自分の部屋に戻ってケータイのメモリーから森本哲郎を呼び出す。そしてしばらくコール音が聞こえた。
「もしもし」
 俺の耳に鳴り響いていたコール音が途切れ、哲郎さんの声が聞こえた。
「あ、哲郎さん? 今、大丈夫かな?」
「うん。どうかした?」
「できれば、家まで来てほしいんだけど」
 それから俺は可南子のことを説明した。俺の言葉が電話口に吸い込まれ電子となって哲郎さんまで届いた。俺は説明の途中、ぼんやり電話って意外に不思議だと思った。
 一通りの説明を終えると、哲郎さんは俺の頼みを了承してくれた。やはり頼りになるなって改めて実感。
「あのさ」
 俺はガラにもなくあることを訊いた。
「兄貴って元気?」
 ケータイの向こうではさすがの哲郎さんも驚いているだろう。俺が兄貴のことを気にしたことなんて今まで一度もなかったのだから。
「ああ、元気さ」
「そっか」
 人はいつ死ぬかわからない。そう思ったら繋がりの薄い家族でさえ大切に思えた。そうか、兄貴は元気なのか。わかってはいたけれど、改めてそう聞くとなぜか安心した。
「じゃあ今から向かうから」
「ああ、よろしく」
 そう言って俺は通話を切った。部屋の外から足音が聞こえる。きっと可南子がシャワーを浴び終えてこちらへ向かってきているんだろうな。俺は部屋から出て可南子を出迎えに行った。
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DATE: 2008/07/19(土)   CATEGORY: 雨の日のうた
雨の日のうた(10)
 可南子が泣きやむまでは相当な時間がかかった。それまで俺は可南子の右手をぎゅっと握りしめていた。思う存分に泣いて、可南子がすこし落ち着いてきたころ可南子は口を開き始めた。
「お母さん、苦しそうだった」
可南子は、記憶の中にある病に苦しむ母の姿を見つめているように続けた。
「ごはんも全然食べられないしね、食べても吐いちゃったの。ううん。何も食べなくても吐いてた。もう吐くものなんて何もないのにお母さんは吐き続けたの」
 俺はその光景を想像してみた。そして、すぐにそれをやめた。
「吐いてるとき以外はね、頭が痛いって言うの。それで助けてって。わたしどうしたらいいかわからなくていつも泣きたくなってた。お母さんがたくさん苦しんでるのに、自分は何もできないことがいやだった。」
 可南子は続けた。
「それでもね。調子が良いときは可南子と話をしてくれたんだよ? すごく楽しそうに。でも最後は決まってごめんねって謝るの。お母さんこんなになっちゃってごめんねって。それでまた自分がいやになった。何もしてあげられなくて謝らなきゃいけないのは可南子の方なのに、お母さんは何度も謝った。何もしてあげられないうえに、お母さんに気を遣わせちゃってわたし最悪だなって思った」
 そんなことないよ。そう言いたかったけれど、俺にはそう言えなかった。俺が言うには軽すぎるってわかっていたから。きっと俺には可南子の苦しみはわかってあげられない。悲しいことに。きっとこの感情は可南子がお母さんに何もしてあげられなかったと悔やむ気持ちに似ているのだと思った。それでも可南子の苦しみはわかってあげられない。どんなにわかろうとも、俺は可南子の気持ちに届くことはないんだと思った。それが無性に悲しかった。自分は無力だと思った。
「すこし休んだ方がいい」
 俺はやっとのことでそれだけ言った。可南子は何も言わずに頷いた。
 すこしのあいだ沈黙が流れた。しかしそれは不快なものではなく、その場に必要な静けさだったのだろうと思う。
「ちょっといい?」
 俺は部屋の隅に置いてあったアコースティック・ギターに手を伸ばした。古くてぼろっちいアコギに張られてある弱弱しい弦に俺は触れた。ジャララン、と音がなった。
 それから俺は歌を歌った。悲しく切ないけれど、とても綺麗なバラードを。可南子はそれを黙って聴いてくれた。俺はどこからか湧き出てくるメロディーに、思い浮かんだ適当な歌詞をのせて歌った。自分ながらにとても綺麗な歌だと思った。きっと可南子もそう思ったに違いない。
 俺が歌い終わると可南子は、涙目で笑っていた。目元に溜まっている涙は悲しいからなのか俺の曲に感動してなのかはわからない。
「やっぱりうまいね、バラード」
 俺は何も言わなかった。
「とっても綺麗な歌」可南子は続けた。「なんて歌?」
 タイトルか。俺は外を見た。相変わらずに降り続いている雨を見つめた。
「Rainy」
 この曲にはぴったりなタイトルだと思った。この曲の持つ切なさや悲しみは雨に似ているような気がした。
「雨の歌なんだね。今日の天気にぴったり」
 可南子はすこしだけ微笑んだ。
「雨のように綺麗な歌。可南子とっても好きだよ」
 俺はそうは思わなかった。この曲の綺麗さは雨に似せたものではなく、可南子に似せたものだったから。これは可南子を想って歌ったバラードだ。
「もう大丈夫?」
 可南子は微笑みながら頷く。そして俺たちは互いの唇を重ね合わせた。それはとても自然な行為だったように思えた。今までのプラトニックな関係は、今日この日のためにあったんじゃないだろうか。俺たちが初めて唇を合わせるには、とてもお似合いの日に思えた。
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